“当たり前のことを当たり前に描く”物語

 87年のドラマでは視聴者がこれを見て、もっともだと思っていたと思うと、いい時代だったなと思う。ただし、これは黒柳朝の母がキリスト教を信仰していたことも関係しているだろう。

 この蝶子の誠実さは、朝の自伝の一節に支えられていると感じる。「自分の行動が人を傷つけたり悲しませたりするかもしれないという事柄に対しては、むしろ臆病なくらい煮えきらないところがあるのです」というセリフをドラマのどこかで言わせるのではなく、その一節からチョッちゃんの言動を想像して話を膨らませる。昨今の自伝を原作にしたドラマには失われつつある手間ひまをかけた脚本だ。

 脚本家・金子成人は、「僕は素敵な親子像というものを描ければいいなと思いますね。それは今の家庭が抱えているような問題に何か警鐘を与えるというとちょっとオーバーだけども、こういう手もあるよというヒントを示すことができればいいような気がするんです」と『NHKドラマ・ガイド 朝の連続テレビ小説「チョッちゃん」』で述べている。

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 令和のいま、『チョッちゃん』が愛されるのは、黒柳徹子とその母の魅力や、圧倒的な人気者たちの集結、誠実で丁寧な作劇のほか、当たり前のことを当たり前に描いていることにホッとするからだろう。この安定感は、経済的にも文化的にも日本人が満たされた時代ゆえかもしれない。まさかこのあと、バブルが崩壊して、失われた40年になるとは思いもよらなかっただろう。いや、橋田壽賀子は『おしん』で贅沢になった日本人に警鐘を鳴らしていたのだが。

 ともあれ87年の日本では「チョッちゃんはこの夜、星の世界を漂っていました」と文学的で豊かなナレーションで満たされた世界を描き、2025年の『あんぱん』では主人公が天井に穴の空いた貧しい長屋の共同トイレで星を眺めながら愛を語るのだ。

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