火の海をのがれて“井戸”に飛び込んだ
一度は大木にしがみつき、「死ぬんだから母ちゃんにしっかりつかまっておいで」と星野さんを抱きしめた。が、熱すぎて耐えられず、また境内を逃げ回る。
一家は離ればなれになった。父親を見失ってしまったのだ。5歳の弟を背負ったまま行方が分からなくなった。
「母ちゃん」。星野さんの母は子供の叫び声を聞いた記憶がある。「どうしてもあの子(5歳の弟)の声だったように思います」(母親の手記)。母親は終生、その声が頭を離れなかった。
誰かが井戸のようなところへ飛び込むのが見えた。
星野さんの母も、2人の子を連れて飛び込んだ。後から後から人が飛び込むので、下へギュウギュウ押された。「父ちゃんも紀ちゃん(5歳の弟)も死んだと思うから、ここで3人で死のうね」。母親は星野さんに告げた。
その時、グワーッという音が聞こえた。星野さんらの上に乗っていた人々が「井戸」を飛び出す。星野さんの母も出ようとしたが、上に手が届かなかった。
外からは火がついた木の枝がひっきりなしに落ちてくる。「本当にここで死ぬのだ」(母親の手記)と思った時、警防団の人が上から水を掛けてくれた。
星野さんの母は履いていた布製の靴を脱ぎ、水を含ませては火を消した。
井戸の上から手を差し延べてくれた女性
どれくらい経っただろうか。辺りが急に静かになり、火も落ちて来なくなった。
「井戸」の中で眠ってしまっていた星野さんは寒さで目が覚めた。母親も2歳の弟もガタガタ震えていた。だが、上に這い上がることができない。
ふと、女性の声が聞こえた。「井戸」の外で子供の名前を呼んでいた。
「助けて下さい」。星野さんの母が声を上げると、女性は手を差し延べてくれた。
「井戸のまわりには、黒こげになった女の人か男の人か、全然わからない人が大勢死んで居られました」(母親の手記)
星野さんの母は、助けてくれた女性と一緒に木のそばに座った。女性は服を脱ぎ、震えていた星野さんと2歳の弟に着せてくれた。2人は母親の膝枕で眠りに落ちた。
そのうち、夜が白々と明けてきた。
見回りに来た警防団員に「赤ん坊を抱いた男の人がいなかったか」と助けてくれた女性が尋ねると、「少し離れた場所で死んでいる」と言われた。女性は飛ぶようにして見に行った。
「黒に近い灰色の死体」(母親の手記)をじっと見ていた女性は、わっと泣きだした。
「あーっ、これが私の子供です。お父さん堪忍して下さい」
赤ん坊のわずかに焼け残った衣類から、オムツの材料にした女性の古い浴衣の模様が見えたのだ。
その後はそれぞれの家族を探すため、助けてくれた女性と別れた。




