東京の最果てが“都市”に発展できたワケ

 だから五日市は古くから交通の要衝という役割を担ってきた。

「五日市」の名はすでに戦国時代末期から見られ、小さな市が開かれていたという。本格的に発展したのは江戸時代になってからだ。

 物資の集積地として飛躍し、五と十の日に市が立って繁栄する。それを支えたのは、豊富な森林資源だ。

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 奥多摩の山から切り出された木は、ひとつは材木としてイカダを組んで秋川・多摩川を下って江戸に運ばれた。もうひとつは木炭に加工、五日市の町中で取引される。

 江戸は火事の多い都市で、材木の需要は大きかった。燃料としての木炭も世界有数の消費都市・江戸には欠かせない。

 
 

 

 加えて近隣で盛んだった養蚕業を背景に、「黒八丈」と呼ばれる絹織物も特産に。こうして五日市は、江戸時代にはそうとうに裕福な商人が現れるなど、一定の経済力を持つ“都市”になっていた。

いまも賑わう檜原街道沿いの商店街

 どうしてもいまの東京都心、また立川や八王子といった近くの都市と比べてしまうが、かつての五日市は江戸近郊でもなかなかの存在感のある町だったのである。

 さすがにそんな時代の賑わいと比べてどうのこうのと言うのは筋が悪い。ただそれでも檜原街道沿いはいまも商店街になっていて、中心市街地を構成している。金融機関からコンビニ、飲食店に土産物店などが並んでいて、観光で訪れた人の往来も多い。

 
 

 檜原街道を西に行った先、小中野のY字路には「黒茶屋」という懐石料理店。古民家を改装して営業しており、外国人観光客からも人気があるようだ。