石山教授が獄中で自死

 物証などは得られなかったが、捜査は着々と進められた。西日本は翌7月19日付で「急速再建へ 嵐の九大医学部」の見出しで、医学部の動揺ぶりと民主化運動グループの意気込みを伝えた。そして20日付では――。

石山(九大)教授縊死(いし) 戦犯容疑で刑務所に収容中」の見出しで次のような福岡発共同電を顔写真付きで載せた。
*縊死=首をくくって死ぬこと

 戦犯容疑者として福岡刑務支所に収容されていた九大医学部教授・石山福二郎氏は17日午後、刑務所内で縊死をとげた。享年54。

石山教授自殺を報じた西日本新聞

 記事はその後、「かねてから自決を口にしてゐ(い)ました」との小見出しで夫人の談話を載せている。自社取材のようだ。

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「かねてから責任を感じていたらしく、自決のことも口に出しておりましたが、刃物や毒薬類は持っていませんでした。こういう死に方をしたのはお恥ずかしゅうございますが、多くの弟子を持っていた身として、本人としてもこうするより致し方なかったことと思います」

 ここまでではまだ、事件の概要さえはっきりしないが、彼の死によって事件の真相は闇に包まれたというのが大方の評価だった。

「人道に関する罪の容疑者を出したという事実」「厳粛に反省しなければならない」

『九州大学五十年史』は次のように書く。

 石山ら医学部関係者11名が捕らえられた直後、医学部の基礎臨床委員会は7月16、18、23日の3回にわたって生体解剖事件について討議し、おおよそ次のような結論に達した。

 

『伝えられるような事件があったとしても、それは当事者が勝手に大学の設備を用いてやったことであって、われわれは全くあずかり知らない。しかし、文化の最高殿堂であるべき大学から、人道に関する罪の容疑者を出したという事実については、われわれも厳粛に反省しなければならない』

 九大のこの姿勢は現在に至るまで変わっていない。