それから1年半以上が経過した1948(昭和23)年2月4日付で毎日は「“生ける捕虜”を解剖 九大の残虐事件、近く軍事裁判へ」の見出しでこう伝えた。
【横浜】2日、第8軍法務部の発表によれば、九州帝大解剖学教室でB29乗員を生きながら実験台に乗せて解剖した、いわゆる生体解剖事件関係者、西部軍司令官・横山勇中将、(参謀長)稲田正純中将以下16名、九州帝大教授(解剖学教室)平光吾一、同助教授(石山外科)、看護婦長(石山外科)以下12名、合計28名に対し30日、起訴状が発せられ、近く横浜軍事法廷で合同公判に付せられる。主な罪状は生体解剖事件、食肉事件、B29乗員処刑事件の3事件に大別される。なお、事件関係者の九大石山外科・石山博士は既に自裁している。
“食肉事件”と報じられていく
「B29」は戦争中、最も日本国民を苦しめたアメリカの長距離戦略爆撃機。看護婦長の起訴は初の女性戦犯容疑者として話題を集めた。ここで初めて「生体解剖」が登場するが、記事の書き方から、既に事件のうわさは広く知れ渡っていたと想像される。それでは、記事中の「食肉事件」とは何か。同じ日付の読売は見出しからおぞましい内容をはっきり打ち出している。
「生体解剖、肝臓を食う」。
本文で「撃墜されたB29の飛行士1名を医学研究の名の下に、生きたまま九大医学部石山外科で解剖台に乗せたという罪を問われたもの。解剖遺体の肝臓を食べたといわれる陸軍大尉ら5名も同公判に含まれている」としている。
「飛行士1名」は誤りだが、事件は生体解剖だけでなく、人肉食というセンセーショナルな事案として注目を浴びることになる。




