ノンフィクションライター・鈴木忠平さんの『いまだ成らず 羽生善治の譜』が、第37回「将棋ペンクラブ大賞」の文芸部門大賞を受賞しました。

 その受賞を記念して、本作の中で最も大きな反響を呼んだ「第3章 人が生み出すもの」のエピソードを全話紹介します。豊島将之九段を視点人物に、土井春左右さん、斎藤慎太郎八段、そして羽生善治九段の人生が交錯する物語をお楽しみください。(全6回の3回目/つづきを読む

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 豊島からの連絡が途絶えたのは2014年の秋のことだった。斎藤慎太郎はその理由について思いを巡らせてみた。羽生との王座戦に敗れた直後の彼の心境を考えてもみた。

 やはり、そういうことなのか……。

 どこかでこうなるかもしれないと察していた部分はあった。だが、いざ現実となると日々にぽっかりと穴が空いたようだった。何しろ豊島とは、もう何年も毎月欠かさず顔を合わせてきたのだ。棋士になって3年目、21歳の斎藤にとって、豊島はもっとも身近な憧れの存在だった。

下積み時代から続いていた、月に一度の研究会

「研究会、一緒にやりませんか」

 豊島から声を掛けられたのは斎藤が15歳の時だった。当時は奨励会員として三段リーグを戦っていた。一方、豊島は3歳年上で、すでに棋士として2年目を迎えていた。実力は誰の目にも明らかで、いつタイトルを獲ってもおかしくないホープと言われていた。同じ関西所属である以上、関西将棋会館で顔を合わせることもあったが、身近にいながら遥か先をゆく存在だった。自分と年齢が近いのに、絶対王者の羽生や、それに続く渡辺明らに挑んでいく姿が眩しかった。関西には谷川浩司以来、タイトル戦の主役となるような棋士がいなかったこともあり、豊島は期待を集めていた。そんな憧れの人から研究パートナーに指名されたのだ。身が引き締まると同時に心が躍った。なぜ、まだ奨励会員の自分を研究相手に選んだのか、豊島は理由を語らず、斎藤もまた聞かなかった。

豊島将之 ©︎文藝春秋

 それからは月に一度、関西将棋会館で待ち合わせた。大阪市内の自宅からJRに揺られて20分。福島駅を降りると、なにわ筋を北へ向かう。サラリーマンやオフィスレディが行き交う中、高架を二つくぐり、信号を渡ると赤煉瓦模様の将棋会館が見えてくる。地上5階建て、完成から30年ほどが経った関西所属棋士たちの本拠地である。

 天井の低いエントランスを入り、薄暗い階段を3階まで上がると細い廊下の突き当たりにいつも異様な熱気に包まれている空間がある。かつて倉庫だったというその部屋は「棋士室」と呼ばれていた。蛍光灯の下に長テーブルと椅子が並び、スチール製のロッカーには資料と盤駒が保管されている。そこには将棋に必要なものだけがあった。逆に言えば、それしかなかった。棋士と奨励会員が使うことのできる、いわば将棋指したちの“勉強部屋”であった。