斎藤の前で燃え上がった、豊島の青き情熱

 斎藤が棋士室に着くと、すでに豊島の細身のシルエットがあった。ひとり駒を並べ、何やら考えている。研究会は公式戦と同じ午前10時に開始し、昼休憩を挟んで陽が沈むまで3局か4局を指した。豊島は複数で研究するよりも、棋士たちの間で「VS」と呼ばれるマン・ツー・マンでの研究を好んだ。そして斎藤は彼と一日中指してもほとんど勝てなかった。豊島の将棋は序盤から精密に突き詰められていて、一度もリードを奪うことができずに敗れることも多かった。ただ、その強さもさることながら、何より印象的だったのは、たまに斎藤が勝った時の豊島の様子だった。

「あそこで間違えたのか……」

 対局後には互いに分析し合うのだが、敗れた後は豊島の口調がいつになく鋭くなった。内面で激しく自分を責めていることが伝わってきた。静謐の中に青い情熱を滾らせたような豊島と指す時は、いつも棋士室の空気がピンと張り詰めた。

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斎藤慎太郎 ©︎文藝春秋

 これが棋士か……。三段リーグを戦っていた斎藤はそんな豊島の姿を目に焼き付けた。豊島とVS研究をした後は、奨励会での対局にもどこか自信を持って臨むことができた。それをひとつの支えにして、将棋界で最も過酷と言われる三段リーグの戦いを勝ち抜いたのだった。

豊島のいなくなった棋士室

 18歳で四段となってからは、棋士として豊島の背中を追いかけた。月に一度、午前10時に憧れの人と指す。対局が終わり、日が沈む頃になると関西所属の先輩棋士である糸谷哲郎らとともに福島界隈で暖簾をくぐった。豊島は酒を飲まず、自分のことを話すでもなく、ユーモアに富んだ糸谷らの話を聞きながら色白の顔で微笑んでいた。その姿に斎藤はどこか自分と通じるものを感じた。将棋のみで自らを表現する──そんな豊島への憧れは募っていった。次第に2人だけの研究会は斎藤の将棋人生の背骨のようなものになっていた。終わる日が来るとは想像もしていなかった。

 豊島からの連絡が途絶えた後も、斎藤は関西将棋会館へ通った。他の棋士を相手に研究会を続けていた。日々は一見するとこれまでと同じように流れていた。JR福島駅を降りて、なにわ筋を北へ向かう。ただ、サラリーマンが行き交う通い慣れたはずの道がどこかいつもと違って見えた。棋士室に着いても、そこに豊島の姿はなかった。憧れの存在が目の前からいなくなってしまったことは想像していた以上に大きな穴を心に空けていた。それでも前に進まなければならない。斎藤は豊島のいなくなった棋士室で指し続けた。

 そんな日々の中、ある噂が斎藤の耳に届いた。