東京にある巣鴨が、「おばあちゃんの原宿」として親しまれるようになった歴史背景とは? 鉄道事情に精通するライターの小林明氏の新刊『山手線「駅名」の謎』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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開業当時の乗降客数は1日わずか160人
巣鴨駅の誕生は明治36年(1903)4月1日。大塚駅と池袋駅の開業と同日だった。大正14年(1925)の写真には複数の線路が写っている。ホーム寄りは山手線、外側は山手貨物線の線路だ。
貨物線は現在、湘南新宿ラインの線路として使用されているが、巣鴨には停車しない。
駅が建った場所は「北豊島郡巣鴨町大字巣鴨2丁目」。当時の巣鴨町は大字巣鴨1~4丁目をはじめ、上駒込や駒込染井といった町まで含み、面積は1.69平方キロメール。駅はほぼその真ん中に位置していた。
大正14年(1925)刊行の『巣鴨総攬』は、駅開業当初の乗客・降客は1日各80人、計160人に過ぎなかったと記す。それが関東大震災をきっかけに、被害が少なかった巣鴨に移り住む人が増え、駅利用者も急増。乗降客が1万6400人になったとある。大正13年(1924)に駅で働いていた駅員数は、駅長・助役のほか50人以上だった。
こうして人が流入した結果、昭和7年(1932)、巣鴨町は西巣鴨町・長崎町・高田町と統合されて豊島区となる。

