明子 『Single8』を観た人から、『TENET テネット』(2020)みたいなことをずいぶん前にしていたんだという感想もありました。

和哉 そうね。『TENET テネット』と同じ発想ではあるね。役者が逆モーションをしてフィルムを逆回転で撮るというのは、全く同じ。

明子 発想は早かったですよね。成蹊高校の映画研究部はいろんな才能あふれる方々がいて、とても刺激的な場所だった?

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和哉 中学ではクラスの友だちを「面白いからやってみよう」と誘って遊びでやっていた。でも映研ではみんな映画を本気でやっていて、モードが違ったんですよ。手塚さんなんかしっかりしたイメージを持っていて、それを実現するために当時から全カット詳細な絵コンテを描いていた。

明子 利重剛さんも。

和哉 そうね。彼は『Single8』に出て来る、映画を作ったことはないけど映画にすごく詳しいというキャラクターのモデル。彼は高校に入る前に映画を作ったことはなかったけど、ものすごく映画をしっかり見ていた。

明子 理論派だったんですね。

和哉 だから、しっかりした意見があって、僕はそれで刺激を受けていた。

小中和哉氏 撮影:藍河兼一

『いつでも夢を』で富士8ミリコンテストのグランプリを受賞

明子 そして、高3で撮った『いつでも夢を』(1980)で富士8ミリコンテスト、学生グランプリを受賞します。その時どんな気持ちでしたか?

『いつでも夢を』

和哉 正直ビックリしました。ミュージカル映画を作りたいと思っていて、そのためのテストフィルムだったんですよ。リップシンクという、歌と口を合わせるのが、8ミリではとても難しかった。現場で流している音楽をラジカセの出力からカメラの入力につないで、同時録音で音を撮るやり方だったんだけど、問題は編集なんです。画を編集すると同時に音もつながないといけないから、初めは少し長めに繋いで、1コマずつ切って音楽がスムーズにつながる編集点を見つけないといけない。8ミリの構造として、画を撮るレンズの位置と、音を録るヘッドの位置が違うので、フィルムでは画と音は1秒ずれているという問題もあるし。今ではデジタルで簡単にできることが、当時は大変だったんだよね。市川崑さんが審査員で選んでくださったけど、自分ではそんなに評価されるような内容ではないと思っていた。