立教大学を卒業した小中和哉監督が、初の商業映画監督作として選んだのは大島弓子原作『四月怪談』だった。プロの俳優、プロのスタッフに囲まれた初めての現場で小中監督が感じたこととは――。日本映画界を支える監督たちの「自主映画時代」を聞く好評インタビューシリーズ、最終回。(全4回の4回目/最初から読む)
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初めての商業映画体制の中での戸惑い
明子 『四月怪談』の現場はどんな感じでしたか?
和哉 スタッフはみんな年上だし、本格的にプロの役者さんと組むのも初めてだったし、プレッシャーはあった。
明子 初めてのプロの役者さんたちとの仕事はいかがでしたか?
和哉 役者さんたちに無理な注文をいろいろ出したんですよ。幽霊だから瞬間移動できるんだけど、合成を使わずに現場でやろうとして、芝居をしていてフレームから外れたらダッと走って先回りして、カメラが移動してきたらまた芝居を続けるとか、気持ちとは全く関係なく動いてもらう注文をいろいろしたわけです。柳葉さんは役の気持ちになり切って芝居する人だったから、それには戸惑ったようです。あと、中嶋朋子ちゃん本人は『四月怪談』の初子さんのようにキャピキャピしてる人では全くなかったので、何度もテストしていくうちにテンションが高くなっていった。柳葉さんは全く逆で、テストの1発目が気持ちが入って一番良くて、何度もやるとだんだん飽きてくるわけ。だから柳葉さんから途中で「テストが多い」っていうクレームが来た。それで、演出部が朋子ちゃんの相手をしながら練習して、ある程度できてきたところで柳葉さんと一緒にテストをすることにしたんだけど、そういうのも初めての経験で。役者さんにも色々なタイプがいるんだなと勉強になりました。
明子 予算はどうだったんですか?
和哉 3,500万。16ミリ撮りで35ミリにブローアップですけど。『星空』は500万だったけど、ほぼ人件費払っていないから、撮影日数もすごくかかっている。『四月怪談』は撮休を入れて3週間あったかな。

