自主映画出身監督のインタビューを始めた理由
明子 次に8ミリ出身の監督のインタビューを始めたのは、どうしてですか?
和哉 一周回って自主映画に戻って『Single8』を撮り、ここからまたスタートだと思っているので、二周目のためにみんなから取材したかったんです。同じように自主映画出身でプロになった人たちが、どういう思いで8ミリを撮り、プロになる過程でどんな苦労があって、今は何を考えているのかとか、改めて聞いてみたかった。
明子 勉強になりましたか?
和哉 勉強になりました。商業映画のシステムで育った助監督出身の監督と、なんでも自分でやる自主映画からスタートした自主映画出身の監督ってやっぱり違うと思うんです。でも今回みんなの話を聞いてみると、自主映画出身の中でもずいぶん考え方も映画の作り方も違う。何でもありだなと改めて思った。
明子 じゃあ、これから先はどうしようと考えているの?
和哉 何でもありだと思うから、ケースバイケースでいいと思ってる。ひとつスタイルを決めるというよりも、「この作品はこうやってみようかな」ってどんどん変えていっていいのかなという思いにはなっています。
自主映画の女性監督たち
明子 今回インタビューされた監督は皆さん男性だったんですけれども、あの時代にも女の子で自主映画を撮っていた子がいましたよね。例えば羽仁未央さん(注2)や、倉田恵子さん(注3)、それから大林千茱萸さん(注4)などがいらしたわけで、羽仁さんの映画にはあなたも出演して、井の頭公園の池に落っことされたとかそういう逸話を私は未央ちゃんから聞いていたんですけど。羽仁未央さんはその後、香港に行って映画を撮って、また戻ってきて日本映画界で仕事をして。残念ながらもういらっしゃらないんですが。もしいらしたら、この場にお呼びしてお話を聞きたかったですね。
和哉 そうですね。今回、女性監督に登場してもらいたいという思いはあったんですけど、僕がそこまで根掘り葉掘り聞ける方がいなかった。振り返ってみると、女性が映画監督をやっていくのは大変な時代だったんでしょうね。
明子 未央ちゃんからも大変さは少し聞いたことがあって。
和哉 未央ちゃんは16ミリの自主映画を何本か作って、その後いろんなことをやっていく中で、香港映画では監督補的なところから、最終的に監督もやってたよね(注5)。

