明子 香港の現場を見に行きましたね。
和哉 すごく頑張っていたけど、映画を撮り続けることはなかった。
明子 『人間失格』(2009)では企画協力をやっていましたね。
和哉 倉田恵子さんは僕と同い年だけど、同期で一番最初に商業映画デビューした人なんだよね。
明子 そうですよね。
和哉 日活ロマンポルノの『女子大生の下半身 な~んも知らん親』(1982)を撮った。
明子 苦労も多かったでしょうね。
和哉 現役の女子大生監督として宣伝していました。その後彼女は坂東玉三郎監督の『外科室』(1992)の脚本を書いた時に、玉三郎さんから吉村元希という名前を付けてもらって、脚本家として活動しています。自主映画では彼女たちのように頑張っていた女性監督たちもいたんだけどね。
明子 商業映画では、女性であるということだけでも大変なことがあったでしょう。でも自主映画の世界では、同等だったのではないでしょうか。
和哉 そうね。そういう話もしてみたかったという思いはあります。
【今回で「僕たちは8ミリ映画作家だった」の連載は終了です。連載の記事では収まり切れなかった部分も含めた全てのインタビューが一挙に読める単行本は来春刊行予定です。どうぞお楽しみに! ご愛読ありがとうございました。】
注釈
1)志賀葉一 撮影技師。代表作:『コミック雑誌なんていらない!』(1986)、『くまちゃん』(1992)、『篤姫ナンバー1』(2012)など。
2)羽仁未央 エッセイスト、メディアプロデューサー。父親は羽仁進監督。出演作品『妖精の詩』(1971)、『ヘリウッド』(1982)、監督作品『妖獣大戦』(1991)、企画協力『人間失格』(2009)。
3)倉田恵子 『放課後』で1980年PFF入選。現在は吉村元希名で脚本家、監督、劇団主宰として活躍中。代表作 脚本:『外科室』(1992)、『夢の女』(1993)、『リング・ワンダリング』(2022)、『光る川』(2025)、監督『オンナのカタチ ヒトの形をして生まれながらも存在消されしモノの情景』(2023)など。
4)大林千茱萸 映画家、料理家。父親は大林宣彦監督。『HOUSEハウス』(1977)の原案、『転校生』(1982)の8ミリ撮影など、数多くの大林映画に参加。ドキュメンタリー映画『百年ごはん』(2014) を監督。
5)香港映画『妖獣大戦』(1991)監督・脚本:羽仁未央
