和哉 文芸坐で86年の正月に公開して、結構お客さんも入ったんです。文芸坐は今関(あきよし)さんや犬童(一心)さんのマインドウェーブ・シネマにお金を出していたところだから、最初に行けばよかったんだけど、山川直人さんの『アナザ・サイド』(1980)に出資して大赤字だったから長編16ミリにはもう出さないだろうと一瀬さんは思って他を回ってた。どこも成立しなくて最後に行ってみたら、出してくれたんです。

明子 有森也実さんが主演で、パラレルワールドの恋人と出会う話。とてもよくできていて、電車のシーンとかもすごく圧倒的で。

小中明子氏 撮影:藍河兼一

和哉 並行して走る電車の向こうに彼女を主人公が見つけるという、なかなか撮るのは大変な場面だったんだけど、山手線と総武線が合流する新宿駅で撮影して。だいぶ後になって『君の名は』(2016)に同じ場面が出てきて驚いたけど。これは新宿駅の駅員さんに許可をもらって撮影できた。

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明子 駅員さんが許可してくれたんだ。

和哉 僕らの上映会を観に来て知り合いになった人に新宿駅の駅員さんがいて。

明子 いい時代ですね。

和哉 だから、本当に出会いに助けられて何とか撮れてるんですけど。カメラマンは黒沢さんの『ドレミファ娘の血は騒ぐ』の現場で知り合った瓜生敏彦さん(注5)が来てくれた。

酒井法子の短編SF映画『エイリアンハンターP』

和哉 完全な商業映画の体制で初めて撮ったのが次の作品。

明子 『四月怪談』(1988)ですね。

『四月怪談』 ポスター

和哉 そうですね。日本ビクターに成城大学で8ミリをやっていた小澤俊晴さん(注6)という若いプロデューサーがいて。

明子 自主映画で出会ってた人なんだ。

和哉 『星空のむこうの国』を見て声をかけてくれた人だけど、その頃『モモコ・クラブ』というビクターアイドルもののVHDマガジンを出していて、そのコーナーの1つで『13日の金曜日』みたいな短編ホラーを撮らせてもらったのが最初にギャラをもらった仕事だった。学研の『モモコ・クラブ』という雑誌に出ている女の子たちを使って撮影は8ミリで撮った。それが気に入られて、次に酒井法子のデビューVHDの目玉コーナーとなる20分間の短編SF映画を作らせてもらったの。『エイリアンハンター P』という、宇宙から来たのりピー宇宙人が学校の中で怪獣を退治するというね。そのコーナーだけで1,500万ぐらい製作費があったの。まだバブリーな時代で。だから成田亨さん(注7)デザインで怪獣の着ぐるみ作って、特撮もそれなりにやってという経験ができたのはラッキーでした。

明子 そこから『四月怪談』につながったんですね。