明子 この映画を蓮實さんが御覧になって、どんなご感想でしたか?

和哉 今考えると恐れ多いけど、映画表現論の授業の中で上映した。蓮實先生は「これは8ミリ映画の限界ですね」と言ってくれた。技術的に8ミリでできることは究めているという意味だと思ったけど、褒め言葉とは思わなかった。黒沢さんたちは、8ミリ映画でしかできないこと、商業映画ができないことでプロの映画に勝とうとしていたのに比べて、意味がないことだと思い始めていたから。

『星空のむこうの国』は実現するまでに2年かかった

明子 『地球に落ちてきたくま』の後に16ミリを撮ろうとしたんですね。

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和哉 そう。その時2年だったから、16ミリを作って就職活動の武器にしようと思って。それで何を作ろうかと考えた時、16ミリではすごくお金がかかるから特撮ができないと気づいた。それで、特撮を使わないSF映画も好きだったと思い出した。具体的には、NHK少年ドラマシリーズ。特撮はないけど、『タイム・トラベラー』や『なぞの転校生』は、日常的な学生のドラマの中に未来人とか異世界から来た人が出てきてSFとしてワクワクしたし、テーマ性も明確だった。

明子 よく見てました。

和哉 そういう路線だったら特撮を使わなくても面白い映画は作れるなと考えていると、アメリカ映画にも『ある日どこかで』(1980)というタイムトラベルSFで切ないラブストーリーがあって、それをお手本にして作ったのが『星空のむこうの国』です。

『星空のむこうの国』ポスター

明子 就職活動ってしたんですか?

和哉 いや。大学2年で企画を始めたけど、16ミリは自己資金では無理なのでお金集めをしていたら、結局2年かかってしまった。一瀬隆重さん(注1)という関西自主映画界出身のプロデューサーが「小中の次の作品は俺がプロデュースしてやる」と言って動いてくれて、パルコが映画の企画を募集しているというので持ち込んだけどダメで、その時映画になったのは山川直人監督(注2)の『ビリィ☆ザ☆キッドの新しい夜明け』(1986)。つみきみほ主演映画の企画を探していた渡辺プロにも持ち込んだ結果、一瀬さんが同時に提出した植岡喜晴さん(注3)の企画が通って、『精霊のささやき』(1987)が実現する。就活のために始めた16ミリ企画だったけど、一瀬さんが資金集めを始めていつの間にか商業映画企画になっていた。小林弘利さん(注4)と脚本を作って、全カット絵コンテを描いて、準備は終わってもなかなか撮れなかった。ようやく文芸坐が半額出してくれることが決まって撮影できたのが、大学を卒業する春なの。だから、就活は全くしなかったんです。

明子 『いつでも夢を』で就活したらよかったのに(笑)。

『星空のむこうの国』スチール
『星空のむこうの国』スチール