少女と少女、男と女、母と娘 ―― 密やかな関係を巧みに描くふたりの作家の初対談が実現。唯一無二の関係性はいかに生み出されているのでしょうか。
一穂ミチさん『光のとこにいてね』の文庫化を記念して、単行本刊行時に行われた対談をお届けします。
(初出:「別冊文藝春秋」2023年3月号)
◆唯一無二の関係性に惹かれる
川上 『光のとこにいてね』、一日で読んじゃいました。「作者の方と対談するんだ」という気持ちでじっくり読もうと思っていたのに、二人がそれぞれどうなっていくのかが気になって、「どうなるの、これは……! 次、どうなるの?」と、じっくり文章を味わう間もなく、読みふけっちゃいました。
物語のラストは最初からイメージされていたんですか?
一穂 ありがとうございます。いえ、イメージはまったく。実は、自分でもどうなるのかな、と思いながら書いていました……。そもそも私、書く前にあまりプロットを詰められないタイプなんです。川上先生はいかがですか?
川上 あ……、「先生」はやめて~……。「さん」でお願いします(笑)。
私も全然詰められないです。一緒だと思います。一穂さんは今回の『光のとこにいてね』がはじめての長篇連載だとお聞きしましたが、書き下ろしと違って、連載でもあまり先のことを考えずに書き進められましたか?
一穂 はい、連載でも、走りながら次の道を探していました。少女たちが出会って、大人になって……という流れ以外決めずに書いていたので、「今回はここまで書いたから、後のことは来月の自分、頼んだぞ」というのを繰り返して。だから翌月になると、過去の自分に「お前……」みたいな憤りを覚えることもありました(笑)。
でもそのおかげで、結珠と果遠の二人が思いがけない選択をすることもあって、「そうか、こっちに行くんだね」と楽しみながら書かせてもらったところもあります。だからまあ、連載はだいぶ長くなってしまって、本にするときに削ったんですけど。
川上 登場人物たちは、たしかに思いもよらない決断をしてくれることがあって、それはたいがいその小説がうまく進んでいる時。削ることに関しては、私も『七夜物語』という話を書いた時、やたらと長くなっちゃって、単行本にする際に一年以上書き直し続けたという悲惨な記憶があります。
今回は、どのあたりがとくに苦しかったですか?
一穂 三章に入ってからですね。大人になって、彼女たちがそれぞれの人生を歩み出してから。東京を離れた二人がどんなふうに再会するのか。再会して、どんなふうに心が動くのか。さらに、お互いに結婚とか子どもとか家庭の問題も絡んでくるので、二人がそういうものをただ置き去りにするわけにもいかないし、と悩みました。最終的にたどり着いたいまの形でも、読者のなかには違和感を持つ方だっていると思いますが、そこは物語の中の人たちの決断なので、仕方ないな……と思いながら(笑)、なんとか走り切りました。
川上 それ、すごく大事だと思います。私も自分じゃない人の目で読んでみたときに、これは嫌な気持ちになるだろうか? という可能性をつい考えてしまう。でも、物語が要請するときは、それを曲げちゃいけないとも思う。だけど、それってすごく勇気がいりますよね。
一穂 そうなんです。つい、登場人物の行動を正当化しなきゃと無意識に考えてしまうこともあります。主人公が何かを捨てるには、「つらい環境」とか「ひどい家族」とか逃げたくなるような要因を用意しなきゃと思ったり。
でも今回は、DVをするとか分かりやすい欠点をもった男性を登場させるのは違うなと思って、そこは意識しました。「そんな男のもとからはさっさと逃げ出したほうがいいよね」という文脈があると、それはもう二人の決断の話ではなく、男性の加害性の問題になってしまう。
今作では、いわゆる「シスターフッド」を書きたかったわけではなくて、すごく閉じた二人の唯一無二の関係性、しいていえば、愛情の原液みたいなものというか……。小さい頃って、仲良しの子とは毎日会っても足りなくて、バイバイしてもすぐ会いたいとか、たまにお泊まりできると夢のようだとか、そういう愛情の原液を原液のまま抱えて大人になったらどうなるのかというのを書きたかったのかなと思います。二人のあいだにあるものが何なのか、書いてるときは自分でも言語化できなかったんですけど。
川上 うんうん、書いてる最中はよくわからないよね。関係もそうだし、私は、『光のとこにいてね』を読んでて、どの人にも変なところとキラキラしているところが同居していて、それがいいなと思いました。そもそも関係性って、ひと言でまとめられるものじゃないですよね。「シスターフッド」とか「恋愛関係」とか。いずれにせよ、『光のとこにいてね』を何かにカテゴライズするのはもったいないと、個人的には思いますね。
一穂 自分でも、名づけてしまうと陳腐になるような気がして、二人のことを作者が無理にコントロールするのはやめよう、関係性を言葉でくくるのはやめよう、と思いました。
川上 一穂さんは、『パラソルでパラシュート』でも名づけられない関係を描いていますよね。名づけられない関係の人たちのことを書くのがすごくうまい小説家なんだな、と思いながら読みました。一方で一穂さんはボーイズラブ小説(BL)もお書きになっていて、BLは「型」が決まっているのかな。その決まった型のなかで自由に踊る、みたいな? 文芸誌に書くときとは、やっぱり何か違いますか?
一穂 違いますね。BLってむしろ、自分のテンションがあがらないと書けないんですよ。たとえば「次はアラブの石油王と日本のサラリーマンで書いてください」とオーダーをいただいても、私が本当にその設定にドキドキしてないとダメで。理屈だけで書いたら読者にもすぐ噓だとばれちゃうので、自分ファーストじゃないと書けない。BLの読者は好みがすごく細分化していて、結果、そのシチュエーションに萌える人が読んでくれるということで市場が成立している気がします。
川上 それはなんというか……、プロの技術者ですね。
一穂 ラーメン屋で修業している感じですかね。ラーメンという枠組みのなかでは何をしてもいいんだけど、ラーメン以外は出しちゃダメ、というのがBLです。それに比べて、文芸誌はなんでもありの大衆食堂というか。ラーメンを出してもいいし、出さなくてもいい。もちろん、ほかのメニューもあってもいいし、なくてもいい。その自由さが少し怖くもあります。
川上 そうですね、知らない海に放り出されて、お椀の船に檜の箸で漕げ、みたいな世界だと私も思います。


