野菜とスープに特化したレシピ本を立て続けに出版し、Instagramやテレビの料理番組などで「心と体を整える」レシピを軽やかに発信する料理家・西岡麻央さんは、元客室乗務員。「弱っちく見られたらいやだな」と思ってジムに通って合格した航空会社時代のエピソードから、料理の世界に飛び込むまでの道のりを伺った。(全2回の1回目/続きを読む)
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国際線に乗務→体調不良がきっかけで「料理」を意識するように
――西岡さんは大学を卒業後、客室乗務員として働かれていたのですよね。もともとお料理はよくされていたのですか?
西岡麻央さん(以下、西岡) 正直そんなに、子どものころから料理をしていたようなタイプではなくて。航空会社に就職して、とくに国際線に乗務するようになって、不規則な生活リズムが続くと体調を崩しやすいなと気づいたときに、意識し始めたという感じです。
――体調不良がきっかけで。
西岡 ただ小さいころから、なぜか健康食品がすごく好きだったんですよ。納豆のフリーズドライみたいものをおやつに食べたりとか。変わっていると思うんですけど(笑)。
――どなたかの影響があったのでしょうか。
西岡 祖母がそういうものが好きで、黒酢を飲んだほうがいいとか。母が家を留守にすることが多かったので、そのときは祖母が来てくれて、おばあちゃんのごはんみたいなものをすごく食べていました。おやきをつくってくれたり、ストーブでニンニクを焼いてくれたり。
「母と妹はJAL、私はANAに…」3人とも客室乗務員
――お母さまも妹さんも、同じ航空会社の客室乗務員と伺いました。
西岡 母と妹はJALでした。私はJALは落ちて、ANAに入社したんですけれども。母は私を出産するタイミングで一度辞めて、でももう一回絶対飛びたいということで、私が中学生くらいのときに、ふたたび飛び始めて、しばらく飛んでました。
――飛び始める、っていいことばですね。西岡さんは、いつ頃から客室乗務員を目指されたのですか?
西岡 もともと海外と日本語に興味があって、好きなことはなんでもつなげたいところがあるのか、大学では海外の子どもたちに日本語を教えるコースを選択したんですね。それとは別に、学生時代にカンボジアに滞在して、現地の子どもたちに日本語を教える体験をしたときに、海外の人たちと会話が成立して気持ちがつながったときのよろこびをすごく感じて、それが航空会社を目指したきっかけのひとつなのかなと思ってます。
――お母さまの影響も?
西岡 職業として身近に感じていたところはあったのかもしれないですけど、はっきり意識はしてなかったです。

