“バトル漫画の論理”で生きているのは、実は猗窩座のほう

 鬼殺隊は少年漫画の華である「一対一の対決」にまったくこだわらず、弱者が圧倒的な強者の暴力に対抗するために手段を選ばない。毒殺に爆殺、剣を交える時も集められるだけの人数を集めて集団で襲い掛かり、あらゆる手段で敵を葬り去るというリアリズムは正義のヒーローというより、政治結社による暗殺に近いのである。『鬼滅の刃』において戦闘は「バトル」でも「スポーツ」でもないのだ。

 実は、いわゆる少年漫画に近い「バトルの論理」で動いているキャラクターは猗窩座の方なのである。もちろん弱肉強食を公然と宣言するその思想は悪役そのものであり、煉獄杏寿郎や炭治郎たちに強く否定される。だがその一方で猗窩座は、無惨の不興を買っても女性を決して殺そうとはしない。戦い続けること、強くなり続けることに価値を置き、至高の領域を目指す。それはバトル少年漫画の理念を擬人化した存在のように見える。

猗窩座 『劇場版鬼滅の刃 無限列車篇』公式サイトより

 北欧神話に『ヴァルハラ』という天国の概念がある。戦闘で死んだ勇敢な戦士たちのみがワルキューレによって導かれる魂の宮殿では、戦士たち同士が来るべき神の戦争にそなえてお互いに殺し合い、日が暮れると死者は復活し傷は癒え、そして次の朝にはまた永遠の殺し合いを始めるのだ。

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「死んでもすぐに生き返り、戦い続けるなんてまるであの作品じゃないか」と、いくつかの少年漫画の名作が思い浮かぶ人もいるだろう。北欧神話を信仰するヴァイキングたちにとっては、平和ではなく永遠の戦争こそが天国だったのである。

 鬼になった猗窩座は、戦い続ける天国ヴァルハラの中にいる。そこは年老いることもなく、傷は癒えさらに強くなる、永遠の少年期を生きるバトル漫画の理想郷とも言っていい。

『劇場版鬼滅の刃 無限列車篇』公式サイトより

 だからこそ猗窩座は煉獄杏寿郎に「お前も鬼にならないか」と呼びかけるのである。それは甘言でも策略でもない。猗窩座は心から強敵である煉獄杏寿郎の死を惜しみ、「俺と永遠に戦い続けよう」「死ぬ……! 死んでしまうぞ杏寿郎 鬼になれ!! 鬼になると言え!!」と何度も説得するのだ。それは「戦ってお互いを尊敬し、心が通じ合えば殺す必要はない、昨日の敵が今日の友になる」という少年漫画のロジックを裏返したような悲痛な呼びかけである。

 だが煉獄杏寿郎は猗窩座の説得を拒否し死んでいく。『鬼滅の刃』という作品世界において、人間が受けた傷はそのまま傷跡や欠損として残り、死者は二度と蘇ることがない。煉獄杏寿郎が鬼にならないのは、猗窩座たちの世界に弱者がいないからである。『お前は選ばれし強き者なのだ』と猗窩座に呼びかけられた煉獄杏寿郎の脳裏には「お前が人よりも強く生まれたのは弱き人を助けるためだ」という亡き母の思い出と言葉がよみがえる。