新聞記者を最近まで勤めてきた私としては、うらやましいという嫉妬に似た感情を覚えた。とにかくエビデンスが詳細で、これなら「原巨人監督」の「一億円恐喝問題」で巨人から名誉棄損の裁判を起こされて最高裁まで文春の主張が認められたのも当然だと思う。
私が勤めてきた朝日新聞はリベラルな会社ではあるが、記者たちは縦割りで、取材にはテリトリーがある。それぞれの部署の仲もよいとはいえない。これでは機動的な動きがとれない。だから「原一億円恐喝問題」でも文春さんに後れをとり、悔しい思いもした。
「清原覚せい剤逮捕」にしても、実はそれ以前に私の同僚だった記者が週刊朝日で「グリーニー(興奮系薬物)が球界に蔓延している」というスクープを放っている。その際「清原はもっと根が深い」という情報もあった。しかし裏とりに難航しているうちに彼は本紙の特別報道チーム(当時)に移り、この問題を詰めきれずに記事化できなかった。
新聞記者はひとつの〈やま〉を一人で追うのが原則だ。週刊文春のように〈やま〉にグループで食らいつくという文化が新聞社には備わっていなかった。グループで動いた成果もこの本の読みどころのひとつだ。
ただひとつだけ納得がいかない部分がある。結語のところだ。「野球協約は日本国憲法よりも改正が難しいという。ならば、今の読売巨人軍がすべきことは、野球協約の条文を教えることではない。野球協約を超えた、ありのままの現実を受け入れ、パンドラの箱を開くことなのだ」とある。
これは違う。野球協約はころころ変えられている。全く透明性のないオーナー会議で「野球は文化的公共財」という重要な文言がここ数年でも出たり入ったりしている。もうひとつ、巨人がパンドラの箱を自ら開けることなどないことは著者が一番ご存じだろう。これからもどんどんパンドラの箱を開けていくのが著者のチームの使命だと思う。さらなる健闘を祈りたい。
にしざきのぶひこ/1970年生まれ。「週刊ポスト」記者を経て2006年より「週刊文春」記者。12年に「巨人・原監督1億円恐喝事件」をスクープ。清原和博薬物疑惑や巨人選手野球賭博事件など取材。
にしむらきんや/スポーツジャーナリスト。1956年生まれ。元朝日新聞編集委員。『神の領域を覗いたアスリート』など。