勝負の世界では誰もが「丸裸」になる

――『天才望遠鏡』の中の「本当の天才は、戦いの場で丸裸になる」という言葉が杉本八段の心にも残ったと伺いました。

杉本:そうなんですよ。ちなみに、天才じゃない棋士でも丸裸になりますよ。自分も一応、丸裸になっています。物理的にじゃなくて、気持ちの上でですよ(笑)。対局の場ではやはり、おたがいにすべてをさらけ出してまっさらな状態で向き合いますから。

 

額賀:「星の盤側」を書き始めたとき、“スポーツ”としての将棋を書いてみようと思ったんです。主人公もスポーツカメラマンですし。

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 書いていくなかで、アスリートがすべてを剥ぎ捨てて勝負の一瞬に挑むのと同じものを、棋士の方に感じたんです。それで、このフレーズが出てきたんだと思います。

棋士に必要な3つの顔

――杉本八段のエッセイ『師匠はつらいよ2 藤井聡太とライバルたち』には、「棋士には『研究者』『勝負師』『芸術家』という3つの顔が必要」というお話が出てきますね。

杉本:谷川浩司十七世名人の言葉ですね。私がこれまで見てきた弟子たちの中でも、たとえば才能があっても勝負師ではないなと感じる子もいるんです。能力はすごく高いけれど、本番に弱いとか。逆に、どう見ても将棋の内容はまだまだなのだけど、実力以上に結果を出せる子もいる。それは「勝負師」なんでしょうね。

 額賀さんも、「小説の才能」と「作家の才能」は別かもしれないというお話をされていましたよね。

額賀:面白い小説を書ける「小説の才能」と作家として生きていく「作家の才能」は、ベン図のように重なる部分とまったく重ならない部分があると思います。私たちは、出版社から仕事を依頼され、編集者など色々な方と一緒に1冊の本を作る個人事業主でもある。そう考えると、フリーランスとして最低限の社会的な振る舞いができるというのも「作家の才能」なんじゃないかと。

杉本:なるほど。私もエッセイを書くときに、自分の書きたいことと世の中に受け入れられることはきっと違うんだろうなと思うことはありますね。たとえば将棋の戦法などの細かい内容は書きやすいですが、あまりニッチなことは読者の方々には求められていないんだろうなと思います。

 将棋に関しても、自分の指したい手というのがあるのですが、AIで分析させると明らかにマイナス評価が出ることがあります。それでも「いいからやるんだ」という人もいますが、対局相手もAIで分析できるから、そういう手は封じられてしまう。かといって、AIの示す手を真似しているだけでは自分の将棋が表現できなくなってしまいます。自分の個性は残しつつ結果を出さなければいけないというのは難しくもありますね。