以来、これまでに中永が診たクマ外傷の症例数は100に近い。とくに秋田大学医学部に赴任した2008年以降、症例は加速度的に増えていき、2023年には1年で20例を診た。

『クマ外傷 クマージェンシー・メディシン』は、その20例の症例をもとに中永をはじめとする秋田大学医学部で救急医療を担当する7人の医師がクマ外傷の実態を解説した稀有な本である。

「もともとは別の救急医療の本のコラムとして、クマに襲われた患者さんは外傷だけでなく、心にも傷を負ってPTSDを発症するなど、治療に時間がかかるケースが多いということを書いたんです。それが医療系出版社の編集者の目にとまって、クマ外傷に特化した本を出すことになったんです」

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 本書は医療関係者のみならず一般読者の強い関心を惹き、救急医療の専門書としては異例の売れ行きを記録。中永も「ここまで話題になった本は初めてです」と語る。

クマが顔面を狙う事件はなぜ起きるのか

クマ外傷 クマージェンシー・メディシン』(新興医学出版社)

 中永によると、クマによる外傷にはひとつ大きな特徴があるという。

「それはクマは顔面を攻撃するということです。うちで診たクマ外傷の患者さんの実に90%が顔面に受傷していました。次に多いのが上肢(70%)で、以下、頭部(60%)下肢(40%)胸部(25%)頸部(15%)となっています」

 なぜ顔面に受傷が集中するのか。それはクマの習性とも関連する。クマは周囲を警戒したり、威嚇したりするときは後肢で立ち上がることが多い。しかるのち、必要とあらば攻撃へと転じるのである。

「そのため、クマによる第一撃は、立ち上がった状態から前肢で水平に薙ぎ払うことが圧倒的に多いんです。クマの立位での身長はだいたい100~150cmですので、ちょうど人間の顔の高さを振り抜くことになります。また、クマ同士で争う場合は、相手の口をかみこんで窒息死させようと顔を狙うので、人間においても顔面外傷を負うことが多いんです」

ヒグマ(写真は北海道斜里町) ©時事通信フォト

 襲われた人は顔の右側に傷を負うことが多いことから、ハンターの間では“クマは左利き”という説もあるというが、中永は「恐らく右利きの人が多いので、咄嗟に右手をかざして、右半身の状態でクマの攻撃を防ごうとして、右側に傷が集中するのだと思います」と語る。

 いずれにしろ、その威力はすさまじいばかりだ。

「以前、クマに襲われた患者さんの治療のため、傷口を洗浄して縫合しようとしたら、皮膚の中からクマの爪が出てきたこともありました。自分の爪が折れるほどの勢いで前肢を振り下ろしているのか、と驚きました」