当然のことながらそれだけの力で顔面を薙ぎ払われたら、そのダメージは深刻なものになる。中永らのデータによるとクマ外傷患者の45%が顔面を骨折し、15%が眼球破裂に至っている。本書では、患者の了解をとったうえで受傷直後の写真と治療後の写真が並べて掲載されているのだが、とくに前者の写真は「これだけの傷を負った人が死ななかったのか」と驚くほどの惨状を呈している。

70代男性のケース「地面に落ちていた鼻を…」

 とりわけ私が驚愕したのは、本書の第3章・症例3として記録された70代男性のケースである。この男性は路上でクマに襲われ、倒れたところをクマにのしかかられていた。たまたま車で通りかかった人がクラクションを鳴らして追い払ったが――。

〈顔面中央部を眉間から両頬、上口唇にかけて一塊に食いちぎられた。離断された顔面は路上に残っており、救急搬送時に回収された〉(『クマ外傷』より)

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「このケースでは、現場に駆け付けた救急隊員がたまたま地面に落ちていた被害者の鼻周辺の組織を見つけて、それを袋に入れて患者さんと一緒に持ってきてくれました。歯とか指の脱落の場合は、ほぼ全部丁寧に持ってきてくれるのですが、鼻を持ってきてくれた救急隊員は初めてでした」

秋田県内におけるクマの出没情報を知らせる、クマ出没マップ「クマダス」のトップページ(写真は2025年9月10日時点)

 クマに襲われた患者が運ばれてきたとき、中永ら救急担当の医師はICU(集中治療室)でまず「全身管理」を行う。これは患者の全身状態を総合的かつ継続的に評価・調整し、まずはその命を守るために必要な治療を施すことを指す。

「とにかくバイタルサインの安定化を図ることに徹します。具体的には(A)気道確保と頸椎保護、(B)呼吸と致死的な胸部外傷の保護、(C)循環と止血の3点です。それから出血性ショックに伴う低体温症に備えて保温対策を行い、傷口が細菌で汚染されないよう感染症対策も非常に重要です。細かい診断をする前に、とにかく“死の危険を遠ざけること”が我々、救急医の役割です」

 バイタルサインが安定し、いわゆる「命に別状はない」という状態になったところで、順次、必要な治療が施されていく。顔面の外傷なら形成外科医が、手足の複雑骨折などであれば整形外科医が、という具合に受傷部位によって分担していくという。

「この患者さんの場合は、すぐに形成外科医が全身麻酔下で離断した組織(鼻)の再接合手術を行いました。形成外科の先生が非常に頑張ってくれて、この手術が非常にうまくいったんですね」