この地に“幻のターミナル駅”が開業したワケ
万世橋駅が開業したのは、1912年のことだ。その当時、万世橋駅周辺に広がる神田の町は、東京の文字通りの中心、最も繁華な町だった。
もちろんいまでもこの一帯が活気に富んでいることは言うまでもない。が、その昔はいま以上の圧倒的な存在感を東京という都市の中で占めていたのだ。
そのルーツは江戸時代の初め頃。現在の中央通り、旧中山道を軸として町人地が開かれた。
その中にも点在していた寺社は明暦の大火以後郊外に移転。跡地にさらに町家が入り込む。
さらに神田川の舟運とも結び付き、青果市場が設けられるなど物資の集積地にもなってゆく。
こうして発展した神田の町は、明治初期には人口10万人、日本一の人口密度を誇るほどになる。明治半ばには大火に見舞われたもののすぐに復興、須田町交差点が市電のターミナルになったこともあり、さらに一層の成長を見せた。
伊勢丹や松屋といった百貨店が創業したのも神田の町。大正初期、神田区の人口は17万人を超えている。
そうした中で、満を持して開業したのが中央線のターミナル・万世橋駅だったのだ。
なぜ“東京の中心”から外れたのか
万世橋駅の袂には火除地として確保された広場があって、そこに鉄骨煉瓦造り2階建ての荘厳な駅舎が建てられた。2階にあった洋食屋「ミカド」には若き日の芥川龍之介も通っていたという。
駅前は東京で最も地価の高い土地。大正時代、万世橋駅はまさに東京でいちばんの栄華を誇ったターミナルだったのである。
それがたったの100年あまり前。いまの万世橋駅跡には、「東京の中心」たる雰囲気は感じられない。
もちろん大都市の中の市街地ではあるのだが、そこに聳えるオフィスビルといい、周囲を行き交う人やクルマの交通量といい、少し離れた靖国通りや中央通り沿いのほうが、よほど活気に溢れている。万世橋駅も、とうの昔に廃止された。



