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万世橋が凋落した“決定的理由”とは?
ターミナル・万世橋が凋落したひとつのきっかけは、1914年の東京駅開業だ。
これにより、東京都心にいくつか点在していたターミナルの存在感は一気に低下する。万世橋駅もそのひとつだった。
ただ、この時点ではまだ駅前の須田町交差点が市電の要衝として機能していたこともあり、大きく立場を損なうことはなかった。
すべてが一変したのは1923年9月1日、関東大震災である。
関東大震災により、神田周辺はもとより東京都心はことごとく灰燼に帰した。いかにもターミナル然としていた万世橋駅の駅舎も焼け落ちた。
震災後の都市計画で“裏通り”に
さらに万世橋駅にとって泣きっ面に蜂だったのは、震災後の復興都市計画だ。
復興計画で特に力を入れられたのは、道路整備であった。道幅の広い新たな幹線道路を整備し、火除けの役割を持たせる、というものだ。
そのひとつとして開通したのが大正通り、現在の靖国通りだ。
結果、万世橋駅前にあった市電の要衝・須田町交差点は中央通りと靖国通りの交差点に移される。
万世橋駅は、中央通りと靖国通りから少し外れた裏道沿いの駅になってしまったのだ。


