その典型が、2021年に発覚した「アニマル桃太郎事件」でした。長野県松本市の劣悪な環境の繁殖施設で、約1000匹もの犬が放置されていたこの事件は、社会に大きな衝撃を与えました。しかも、この事件の発覚時期は、飼養管理基準を厳格化する数値規制などが盛り込まれた改正動物愛護管理法が施行された直後でした。
※参考記事〈「犬1000頭がケージにぎゅう詰め」利益のために虐待を繰り返す“悪徳ブリーダー”が減らないワケ〉
法律が強化されたにもかかわらず、なぜ行政は迅速に介入し、動物たちを救い出すことができなかったのでしょうか。
その背景には、日本の法制度が抱える二つの致命的な欠陥があります。
第一に、「緊急一時保護制度」が存在しないこと。虐待が明らかでも、その動物は飼い主の「所有物(財産)」であるため、許可なく行政が強制的に保護(押収)することが極めて困難なのです。命の危険が差し迫っていても、財産権の壁が立ちはだかります。
第二に、「飼育禁止命令制度」がないこと。たとえ虐待で有罪となっても、その人物が再び動物を飼育することを禁止できません。これでは、再犯防止は望めず、新たな犠牲を招きかねません。
この事件は、法律が強化されても実効性のある執行手段が伴わなければ、大規模な動物虐待は防げないという厳しい現実を突きつけました。所有権が動物の生命より優先されるという本末転倒な状況を放置しないため、動物愛護団体や多くの自治体が具体的な法改正を強く求めています。
「アメリカの話」で終わらせてはいけない
米ニューヨーク州の裁判所が下した、犬を「家族」と認める画期的な判決。それは、遠い国の特殊な事例ではなく、ペットと人間の関係性が世界中で進化していることを示す普遍的な道しるべです。この判決は、法が社会の価値観の変化にどう応えるべきかという、根本的な問いを私たちに突きつけています。
日本の法制度の「ねじれ」を解消することは、単に動物に優しくするためだけの課題ではありません。次世代にどのような価値観を引き継ぎ、どのような社会を築くのかという、私たち自身のあり方に関わる問題です。