『忙しい人のための美術館の歩き方』(ちいさな美術館の学芸員 著)ちくま新書

 あなたが最近美術館に行ったのはいつだろうか。数年前、それどころか記憶にない人もいるかもしれない。本書の著者、「ちいさな美術館の学芸員」さんによれば、美術館利用者には30~50代の現役世代が明らかに少ないという。実は、現代人の余暇時間は増加傾向にある。だが、タイパ、コスパが重視される時代に、わざわざ足を運ばなくてはならず、安くない入館料を払い、鑑賞したところでどんな効果や見返りがあるかはっきりしない美術館は、「タイパの真逆にある」場所だ。

 本書は、美術館とはそもそもどんな場所か、どう鑑賞したり、楽しんだりしたらよいかを、ビジネス書のようにわかりやすく解説してくれる1冊になっている。

「コロナ禍で、勤めている美術館でまともな展覧会ができなくなり、美術館、学芸員とは何なのかに向き合わざるを得なくなりました。それで色々考えていたことをnoteに書き始めたところ、思いがけず反応がありました。本の中で、展覧会に行ったら感想をアウトプットすることを勧めているのですが、それは私の実体験から来ています。人に読んでもらう前提で書くと、作品を咀嚼する時の深みが違ってきて、自分の中にもしっかり記憶が残ります。とはいえ、いきなりブログにまとまったものを書くのはハードルが高いという人は、Xなどで呟くだけでもよいと思います」

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 学芸員さん自身も現役世代。なかなかアートを楽しむ余裕がない現代人の気持ちはよくわかるという。

「私たちの世代は、常に焦燥感に駆られていますよね。気付けばスマホを開き、Spotifyで何かを聴き……ということを私もやってしまいます。でも、それが行き過ぎているから、タイパ疲れという言葉もあるし、揺り戻しもある。アートは役に立つものではありません。それを目指して作られていないし、意味があるものでもない。だからこそ、世の中には意味があるということ以外の基準が存在するのだと思えると、ほっとしませんか」

ちいさな美術館の学芸員さん

 意味がある「教養としての美術」をテーマにした本は多いが、それ以外の楽しみ方も提案したいという。

「名画名作を教養として楽しむのはもちろんよいことですが、もう一歩踏み込んでもいいのではと思っているんです。自分の好みに合う無名の作家や作品を見つけて楽しむとか、名画においても、『こうだ』と言われている見方ではなくて、自分だけの解釈を考えるとか。正解なんてないですから。アートは、いい加減に見ていいんです。これをはっきりお伝えしたい」

 とはいえ、「いい加減に見る」方法もわからない……。そんな初心者のために、本書は美術館の歩き方のコツを教えてくれている。企画展と常設展の違い、持ち物、誰と行くか、1人で行くか。なかでも〈ぶらぶらと気楽に散歩するイメージで見て回る〉〈混んでいるコーナーは後ろから「どれどれ」と覗く程度で次に行く。この時点では解説文を読まなくてもいい〉といった具体的な方法が役に立ちそうだ。

「そうやって会場を一巡してみると、自分の好みがだいたい掴めますし、展覧会の世界観が自然と理解できます」

 学芸員さんの専門は日本美術史。これから開かれるおすすめの美術展は?

「9月9日から、東京・上野の東京国立博物館で『運慶 祈りの空間―興福寺北円堂』が開かれます。仏師の頂点である運慶に代表される鎌倉時代の仏像は、武士好みの写実性と凜々しさが同居していてカッコイイんです」

ちいさなびじゅつかんのがくげいいん/東京都生まれ。都内のとある美術館で働く学芸員。大学でも教鞭を執る。noteにて美術館などに関するコラムを執筆。著書に『学芸員が教える 日本美術が楽しくなる話』など。

忙しい人のための美術館の歩き方 (ちくま新書 1865)

ちいさな美術館の学芸員

筑摩書房

2025年7月10日 発売