初の最下位。最も悪かったのは「監督」ではなく……

 後半戦、抑えに転じた私は、結局その年、130試合のうち56試合に登板。41勝しかできなかったチームで11勝11セーブを記録。チーム勝利数の半分以上に関わり、防御率もリーグ2位になった。

 結局、阪神は球団史上初の最下位に終わった。その後、ブレイザーで持ち直したが、この前までは先に巨人が長嶋監督初年度に最下位になったため、唯一最下位になったことのない球団だった。

 厳しさのかけらもないチームだったクマさん。もちろんそれは良くなかったが、一番悪いのは信念もなく計画性もなく、1年限りという条件で監督をやらせたフロントだ。当時、本拠地開催の巨人戦が13試合あった。その放映権料は1試合1億円と言われていた。

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 黙っていても13億円入ってくるのだから、あとは出るカネを抑えればいい。そんな方針で球団経営をしているのだから、勝ってファンを喜ばせよう、スタンドに客が入るようにしようという発想にはならなかったのだ。それは阪神に限らず、セ・リーグの球団はどこもそうだった。

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