「これはダメだな」阪神が「球団初の最下位」に沈んだ舞台裏

 私の理想の監督像は「オヤジ」だけれども、前に「人のいい」がついてはいけない。つけるなら「地震、雷、火事」でないといけない。ましてや「クマさん」なんていうあだ名で呼ばれ、「キャッチフレーズは、みんな仲良くボチボチと」なんて言っていたら、緊張感も何もない。

「クマさん」の名で親しまれていた後藤次男氏

 はじめから1年限りの契約だ。球団も長くやってもらうつもりはなく、本人も長くやるつもりなどない。コーチングスタッフは、仲のいい麻雀仲間で固めた。ウソのようだが本当の話だ。これをやってしまうとチームは崩壊する。

 キャンプではろくに練習もしない。適当な緩い練習で、さっさと上がってしまう。その日、たまたま私も多少早めに上がったら、先に上がった若いやつらが麻雀をしているのだ。頭に来て、ひっくり返してやった。今なら「行きすぎた指導」とか言われてしまうのだろうが、誰からも咎められず、「よくぞやった」と拍手されるぐらいだった。あの頃は良かった(笑)。

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 あのときのことは忘れもしない。「ああ、これはダメだな」と思った。シーズンに入ったら、案の定ボロボロだった。

 試合中、私がベンチの隅に座っていると、クマさんは頼る人がいなかったのか、後輩の私をよく呼んで、ぼやいた。グチの一発目は決まってこれだ。

「ピッチャーが完投してくれて、バッターがチャンスでバンバンと打って、ホームランをポーンと打ったら勝てるのになあ、エモ!」

 こりゃダメだと呆れる日々だったが、それでも窮地にいる先輩のクマさんのためになんとか力になろうという気持ちはあった。「人のいい」はつくけれど、オヤジはオヤジ――そんな感覚はあった。そういう気持ちもあって、低迷するチームにあって私は気を吐き、オールスターまでに9勝くらいしていた。

 後半戦に入り、クマさんは「お前ら、最後にもうちょっと頑張らないか」とハッパをかけると、私に「お前、抑えのリリーフやってくれ!」と言った。「1点差以外は行きませんよ」と応じた。