2年ぶりのリーグ優勝を遂げた阪神タイガース。言わずと知れた名門球団は、これまで数々の監督が指揮をとってきた。一般的に、焦点を当てられがちなのはリーグ優勝や日本一を遂げた名監督たちだが、低迷期の“迷監督”たちも見逃せない。
中でも2リーグ制に移行してから球団初の最下位に沈んだシーズンの監督は、コーチ陣を麻雀仲間で固めてしまうという破天荒な人物だった。球界のご意見番、江本孟紀氏の新著『ベンチには年寄りを入れなさい』(ワニブックス)から一部抜粋し、お届けする。(全3回の1回目/続きを読む)
◆◆◆
野村さんの下で4年やったあと、大型トレードで阪神タイガースに移籍した。監督は2年目となる吉田義男さんだった。1976年のシーズンに向けてのことだった。
吉田さんはまた新たな類型の監督、先に少し触れた「天才」だった。考えようによっては、これが一番厄介かもしれない。意味するところは、まさに天賦の才だけで何をやっても「ある程度」なんとかなってしまう――といったところ。野球界には、そういう独特な種類の人がいる。天才といっても、インテリジェンスが恐ろしく高い……という意味ではない。
南海のシンキング・ベースボールを何年もやってから、吉田阪神に来てみると、むしろすべてのインテリジェンスを拒絶しているかのように感じた。南海ではすべてのプレーに情報分析を加えていたが、阪神にはなんにもなかった。誇張ではなく、本当になんにもなかったのだ。
