そう、今回の読売の検証記事を読んでいると「なぜ首相本人に聞かないのか」という素朴な疑問が浮かぶ。一国の首相の進退を「複数の政府・与党幹部が明らかにした」だけではさすがに弱いのではないか?
読売の逆ギレには無理がないか
それでいうと検証記事には注目すべき記述があった。7月23日朝にトランプ大統領が日本との交渉妥結を表明したことを受け、「本紙は、首相に心境の変化がないかを改めて取材したところ」、首相は「変わりはない」との認識を示したという。なので号外と夕刊を出したが「報じるにあたり、首相側にはメールで通告した」(特別面・9月3日)とある。石破首相本人に直接取材しているようにも読めるが、メールで通告したのは「首相側」となっている。なんとも絶妙というか曖昧な書き方なのだ。読売の記者さん、ホントのところをこっそり教えてください。
さて読売の検証記事で納得した部分もある。「首相就任後 相次ぐ翻意」というまとめ記事だ。石破首相は就任後、発言内容が揺れ動いてきたと書く。衆院解散のタイミングや消費税減税、戦後80年の戦争検証を挙げている。まったく同感だ。給付金だってバラマキ批判を浴びて一度引っ込めたはずなのに参院選前に再登場させた。ブレブレにも程がある政権だった。読売はそこを当てこすり「発言を翻すかもしれないというマイナス要素を過小評価した面があった」と反省していた。まるで逆ギレである。
しかし読売の逆ギレには無理がないか。政策については「公」の場で言っていたからだ。だからブレたら我々にもわかる。しかし読売が伝えた首相周辺の言葉はあくまで「内々」の言葉だ。もし本当にそう言っていたとしても国民の前で言っていない以上、言った言わないは意味が無い。「相次ぐ翻意」とはならないのではないか。ましてや首相本人に直接取材したと明言していないのに「虚偽説明」とWEB記事で見出しをつけるのはやりすぎだ。今回の誤報は政治部報道、オフレコ取材の意義にも関わってくる大事な話だと思うが、読売の言い分は責任転嫁に感じた。
一方で石破首相である。首相就任前の「石破らしさ」は影を潜め、持論を封印した約11か月間だった。先週、沖縄ではあの少女暴行事件から30年経ったが、首相はとくにコメントしなかった。持論の日米地位協定改定は在任中は忘れていたようだ。山口の長生炭鉱の遺骨収集も政治の判断が期待されているのに動く気配が無かった。首相就任前は弱い人に寄り添う発言をしていたはずの石破氏は権力闘争に夢中だった。「石破らしさ」とは何だったのか。やはり辞めるのは仕方がないかも。
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