「高階村バラバラ事件の精神鑑定例」は鑑定中のこんな古屋の言動を記している。

「某日朝、患者たちと一緒に病棟対抗の野球を見に行くと勇んで玄関を出て行ったのを看護人に制止されると怒りだし、上着を脱ぎ、サンダルを投げ、ドアを蹴る。数人で押さえると、なおも手足、歯などで抵抗するので、取り押さえて保護室に収容する。20分後、一応落ち着き、病室に出すと、両眼充血し、言語は激しく、まだ興奮している。サンダルを投げたことやドアを蹴飛ばしたことは記憶していないようであった」

古屋が精神鑑定で描いた、相手女性の似顔絵(「高階村バラバラ事件の精神鑑定例」より)

 翌1956(昭和31)年1月31日の論告求刑は予想通り死刑、そして2月21日の判決も大方の予想と違わず無期懲役だった。「それほど残虐な殺害方法ではない」「情状酌量の余地がある」が理由。「(古屋は)神妙に首をうなだれ、両手を前に組んでいた。情の判決『無期懲役』をその耳にしっかり捉えた瞬間、頬にポーッと血の気が差した」「太田検事の太い眉からは不満の表情が汲み取れた」と22日付埼玉。

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 そして「予期していた死刑が外れたのか、傍聴席からため息に似たものが漏れた」と21日付埼玉読売夕刊は書いた。検察側は「軽すぎる」、被告側は「重すぎる」といずれも控訴した。

検察側「無期では軽すぎる」(埼玉読売)
被害者の父親は極刑を求めた(埼玉読売)

 作家、加賀乙彦が精神科医・小木貞孝(本名)として東京拘置所に勤務していた際、死刑囚との接触を記録したのが『死刑囚の記録』(1980年)。その中で、仮名だが明らかに控訴中の古屋と分かる人物が登場する。

 とにかく動きの多い男だった。顔中の筋肉を総動員したようによく笑い、表情を変え、舌を出し、上体をゆすり、手をもみ、そわそわと全身を動かす。ペラペラとしゃべりまくる。初対面にもかかわらず人当たりはよいが、まったく表面で人と接触しているようで、むしろ馴れ馴れしく無遠慮で、深い共感はできない。多弁、多動、軽率、浅薄な感じであった。

 

 ほとんど私が質問しないのに、一人で犯罪、過去の生活、愛人の女性などについて話し、止まることを知らない。

「おれが悪いんじゃない」

 同書によれば、惚れた女性と自分、殺した女性の名前の1字をつないで「おれの事件はブンコキュー事件よ」と言った。

「愛する女のためなら何でもするよ。愛してるための事件だから、おれが悪いんじゃない。死刑じゃなく無期なのは当たり前で、無期でも重いから控訴してるよ。死んだ女には悪いが、おれが彼女を愛してる代わりに犠牲になったので、仕方がないよ……」

 どこまで勝手なのか、と思わせるが……。