1954(昭和29)年に起きた「人違いバラバラ殺人事件」。惚れた女性への「ストーカー」行為に始まり、その女性と間違えたという通りすがりの女性を殺して“解体”した男の犯行は、「猟奇的」「変態」などと騒がれた。
「異常性格」とされた男に見られる強烈な執着心と刹那的な言動、激しい自己顕示欲などは、70年後の現在の犯罪を先取りしたようにも思える。男はどのようにして犯行に及んだのか。下された判決は?
当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略。被害者らは仮名にする。(全3回の2回目/続きを読む)
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迷宮入りかと思われた事件が動き出したのは、事件発生から2カ月後。11月12日付埼玉の「繪(絵)に關(関)係あるもの?」という見出しの記事か。
川越署捜査本部は、現場で発見された画材用紙と、凶行のあった9月5日夜、絵描きふうの若い男が付近をうろうろしていたとの目撃者の話から、先月初旬以来、絵画に関係ある者の仕業とみて捜査していた。11日に至って、用紙から東京都台東区のモデル斡旋所と美術クラブに出入りしている某の足取りを追及している。
それまで画材用紙のことは報じられていなかった。警察が隠していたのだろうか。記事には「某の足取りを追及している」とあるが、この段階で身元が割れていたとは思えない。11月13日、捜査本部は画学生らしい男の特徴などを発表。
「画学生」は事件当日の9月5日夕方6時ごろ、旧県道から高階中学校に立ち寄り、砂場で遊んでいた9~14歳の少女3人に鉄棒体操を教えた。7時ごろ、3人が帰ろうとしたところ、9歳少女にキュウリ、ナスなどを描いた画用紙を1枚与えた後、川越街道を川越方面に姿を消した。
3人の証言から男は22~23歳。身長5尺1~2寸(155~158センチ)で色浅黒く、頭髪は長く、目は大きく、好男子ではなかった。バスケットシューズを履き、左手中指から手首まで包帯を巻き、ズックのチャック付きカバンを持っていたという。

