1954(昭和29)年に起きた「人違いバラバラ殺人事件」。惚れた女性への「ストーカー」行為に始まり、その女性と間違えたという通りすがりの女性を殺して“解体”した男の犯行は、「猟奇的」「変態」などと騒がれた。
「異常性格」とされた男に見られる強烈な執着心と刹那的な言動、激しい自己顕示欲などは、70年後の現在の犯罪を先取りしたようにも思える。男はどのようにして犯行に及んだのか。下された判決は?
当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略。被害者らは仮名にする。(全3回の1回目/続きを読む)
◆ ◆ ◆
1954(昭和29)年は日本が戦後の占領を脱し、独立を果たして2年。年明け早々発覚した造船疑獄に政界が揺れる中、3月には太平洋のアメリカ水爆実験で静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」が被爆する事件が発生。原水爆反対運動が巻き起こった。一方で自衛隊が発足。保守と革新の対立が徐々に際立ってきた時期だった。
そんな9月6日、毎日夕刊は社会面ベタ(1段見出し)の記事を載せた。
肥だめに19歳女性の死体が
肥えだめに女の他殺体
【浦和発】6日午前10時ごろ、埼玉県入間郡高階村(現川越市)地内、東武東上線新河岸駅付近のコンクリートの肥だめの中に若い女の死体をカマス(わらむしろを二つ折りにした袋)に包んで捨ててあるのを通行人が発見。川越署に届け出た。同署が調べた結果、5日朝(夜の誤り)、同村の中学校での運動会に行くと言って出かけたまま行方不明になった同村の農業Aさんの五女(19)と分かった。
現場付近の陸稲畑内に血にまみれた下着が捨ててあり、畑の中で暴行、殺害したうえ、カマスに包んで捨てたとみられる。川越署は埼玉県警本部の応援で捜査中。
日本では古来、人間の糞尿を「下肥(しもごえ)」と呼び、農業の肥料として重視してきた。衛生面の懸念から高度成長期に入ると急激に消えるが、それまでは、都会でも「汲み取り屋」が各家庭を回って回収。農村部では、農業団体などがコンクリートで大規模な肥だめを造っていたところもあったようだ。

