1954(昭和29)年に起きた「人違いバラバラ殺人事件」。惚れた女性への「ストーカー」行為に始まり、その女性と間違えたという通りすがりの女性を殺して“解体”した男の犯行は、「猟奇的」「変態」などと騒がれた。

「異常性格」とされた男に見られる強烈な執着心と刹那的な言動、激しい自己顕示欲などは、70年後の現在の犯罪を先取りしたようにも思える。男はどのようにして犯行に及んだのか。下された判決は?

 当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略。被害者らは仮名にする。(全3回の3回目/はじめから読む)

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初公判を報じた埼玉読売

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 殺人、死体損壊、死体遺棄が問われた12月25日の初公判。傍聴人が朝4時から押しかけ、傍聴券は60枚発行された。検察側は動機を「そっくりなため間違え」とした起訴状を朗読。古屋は「大体間違いありません。結婚の約束をしたのに姿をくらましたので、あんなことになったのです」と犯行を認め、責任を転嫁した。

 翌1955(昭和30)年2月16日の第3回公判では、古屋が「結婚の約束をした」という女性本人が証言。

古屋のことは「好きになれなかった」

「古屋から『結婚してくれるか』と聞かれましたが、年も若いし、好きになれなかったので、友達のつもりでいました」「執念深く、普通の人と違っているので嫌いです。体の関係は全くなく、病気で寝ている時、一度接吻されただけです」と述べた(17日付埼玉読売)。

古屋が結婚を迫った女性本人が証言した(埼玉)

 その後は古屋の精神鑑定が行われ、結果は同年12月22日の第6回公判で明らかにされた。一審で古屋の精神鑑定を担当した新井尚賢・東邦大教授らが「犯罪学雑誌」1960年1月号に載せた「高階村バラバラ事件の精神鑑定例」(文中は匿名)を見よう。

 被告は生来性の多少の性格偏倚に加えて5歳の時の脳炎と思われる疾患に罹患したため、一層その程度を強めたのであり、脳炎後の性格異常と考えた。脳炎後性格異常の場合に見られるような独特の多動性、衝動性があり、さらに発揚性、爆発性及び道徳感情の鈍麻などの性格特性を認めた。なお、軽度の精神薄弱が合併している。脳炎後性格異常の場合には、時に自制力が困難になる場合も考え、責任能力に関し、ある程度限定すべきであろうと示唆した。

精神鑑定で刑事責任は問えるとの判断が出た(読売)

 荒っぽくまとめれば、「善悪の判断がつかないほどの性格異常ではなく、刑事責任は問える」という結論。12月23日付埼玉は「死刑求刑は確実」と報じた。同じ日付の埼玉読売によれば、同日の公判では、被害者の父親が「極刑にしてください」と述べた。父親は「私のところに絵入りの葉書きをよこしたが、いくら絵が好きだといっても、被害者に絵入りの葉書きを出すのは不真面目だ。改心しているとは思えない」と強い口調で怒りをぶちまけたという。