次男の佐々木さんが“父親から言われたこと”
佐々木 うちは父からは何も言われなかったんですよね。とくに僕は次男でしたし。
経緯をお話しすると、父自身も次男で、父にとっての母方の実家が造り酒屋で後継ぎがいないということで、小学生のときに佐々木家の養子というかたちになったんです。幼いころに自分の将来を決められたということもあって、子どもたちにそういうことは言いたくなかったのだと思います。造り酒屋は昔はよかったけれど、当時は世の中の日本酒離れから京都の酒蔵もどんどんなくなっていくなかで、家業を継げとは父はまったく言いませんでした。
先ほどお話ししたように兄は建築の道へ進みまして、僕が高校2年生のときに、理系か文系どちらが向いているか診断するというテストがあったんですね。そのときは進路についてなにも考えていなくて、「理系はきつそうやし、文系にしようかな」くらいの感覚で受けたら、見事に文系・経済という結果が出たんです。それをみた母に、「佐々木酒造を継ぐという選択肢もあるよ」と言われて、そうかなって。じゃあまあ、考えてもいいよって。そこから農学部に進むことを考えるようになりました。
――抵抗感などもなく。
佐々木 そうですね、じゃあやってみようかって。いままでそんな(家業を継ぐ)ことはあんまり考えたことなかったなあと。考えたことがなかったというのも、どうやねんと思うんですけど。
――先ほど、大学の図書館で受験勉強をされたとおっしゃっていて、農学部を目指してすごく努力をされたのかなと。
佐々木 あれはもう高校の友だちと「ちょっと行ってみようか」くらいの感じでしたけどね。京大の図書館だったんですけど、たしかにいまから考えたら、「(劇団)そとばこまち」があったよなあ、京大に。
というのも、そのとき僕は「そとばこまち」の存在は知っていて、窓の向こうで稽古をしていたのが「そとばこまち」のメンバーかどうかわかりませんが、演劇ってこういうふうにするんだな、ってちょっと思ってたんですね。でも実際、大学に入って演劇をするつもりは全然なかったですけど。
撮影=榎本麻美/文藝春秋
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