「人前でちゃんと話せるように」京都の実家の酒蔵を継ぐために大学時代に演劇を始め、「商品の売り方を学ぶため」広告代理店に就職した佐々木蔵之介さん。10月1日からスタートするひとり芝居『ヨナ-Jonah』の国内ツアーを前に、会社員時代のエピソード、会社を辞めて“俳優の道”を選んだときの心境を尋ねた。(全3回の2回目/続きを読む)
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「最初に内定を出してくれた」大手の広告代理店へ
――佐々木さんは大学2年生のときに、劇団「惑星ピスタチオ」の旗揚げに参加されました。卒業後に就職されてからも看板俳優として活動を続けられて、1998年に退団されるまで全公演に出演されるなどのめり込まれて……。
佐々木蔵之介さん(以下、佐々木) のめり込むというよりも、演劇はあくまでも趣味でしたから。「人前で話せるように」家業を継ぐために演劇を始めて、初めて続いた趣味でした。いまは旅を趣味にしていますけれども、あんまりなにかにこだわったり、ひとつのことを続けるということがなくて。
――趣味ですか。
佐々木 演劇はみんなでやるものだから、続けざるを得なかった。役者以外にも、立て看つくったり、稽古場とらなあかん、照明やらなあかん、常になにか担当しなきゃいけなかったんです。ひとりでやるものだったらすぐに怠けてしまって、継続する力はないと思うんですよね。
――大学卒業後は、大手の広告代理店へ。いわゆる就職活動では、ほかにもいろいろ受けられたのでしょうか。
佐々木 そうですね、銀行とか受けられるところは受けてみようと思って。でもやっぱり入社するのは、代理店がいいなと思っていたんですよ。
劇団でつくった作品をどうやってPRしていくか、家業を継ぐにあたって、実家でつくった日本酒をどうやって売るのかというところを考えていかなきゃいけないんだろうなって。たとえば商社だったら、鉄とか食品とか専門分野が決まってくるけれど、代理店だったらもっと広い舞台でいろんなことができそうだ、家業を継ぐために学ぶべきことがあるんじゃないかと思いました。それで、最初に内定を出してくれた広告代理店に決めました。はやっと思って(笑)。
