――佐々木さんは演じる側ですけれども、観る側と仮定したときに、なにを想像しますか。いまおっしゃった自分にとって大切なもの。

佐々木 (しばらく考えて)めちゃくちゃ明快に答えると、“お母さん”。ヨナの芝居にもつながるのですが、誰もが戦争にいったときにお母さんを想うといいますよね。死ぬときはお母さん、というところはすごく大きいですね。

 東欧での生活をおさめたフォトブックのタイトルにつけた「光へと向かう道」。これも印象的な劇中のセリフなんですけど、『ヨナ』は1968年に戯曲が生まれ、1969年に舞台が初演されました。ルーマニアでは時勢の流れから公演中止になったんです。で、じつは1968年は僕が生まれた年なんですよね。なにか自分のなかでご縁を感じています。

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いまうつくしいと感じるもの「京都の東山から昇る朝日を眺めています」

――いま、「光へと向かう道」ということばから想像して、佐々木さんが最近みられたうつくしいものはなんだろうと。

佐々木 うつくしいもの。(しばし考える)うつくしいもの。僕はいま、朝日はうつくしいなと思ってしまいます。

 夕陽はいつも、すごくうつくしいなと思っていて、いまは朝日が昇る前の時間帯にうつくしさを感じます。ちょうどいま京都で時代劇の撮影をしていまして、夜明けのタイミングに起きなきゃいけないんで。京都の東山から昇る朝日を眺めています。

――うつくしさを感じるのは、自然なんですね。

佐々木 山が見える生活がいいなと思って。それは僕が、京都に生まれ育ったからなんですけど。京都の仕事ができることは、感謝していますね。

――また京都に住みたいですか。

佐々木 そうですね、住みたいと思っています。京都は好きです。

――ご実家を継がれた弟さんの、今年初めのインタビュー記事に、「自分の仕事のひとつは“継ぎたい”と思ってもらえる会社にすること」という記述がありました。佐々木さんが、後世につなぎたい仕事はありますか。

佐々木 僕は小劇場から出てきてやってるので、日常を生きていくのに、お互いの力になればうれしいな、くらいですよ。観客と、私と。

 今回の舞台もそうですけど、観てくださった方が、すごく励みになりました、ありがとうございましたと言ってくださることばが、こちらの励みになるので。いまなにかお互い通じ合えれば、なにかを届け合えれば、ということだけでしょうね。

 

撮影 榎本麻美/文藝春秋
スタイリング 勝見宜人(Koa Hole Inc.)
ヘアメイク 髙橋幸一(Nestation)

ささき・くらのすけ/1968年2月4日生まれ。京都府出身。1990年、神戸大学農学部在学中に劇団「惑星ピスタチオ」の旗揚げに参加。98年に退団するまで全公演に出演した。退団後、上京。2000年NHK連続ドラマ小説「オードリー」の演技で注目を集め、以後、テレビ、映画、舞台など、数多くの作品に出演する。主な受賞歴は、映画『超高速!参勤交代』日本アカデミー賞優秀主演男優賞(2015年)、映画『空母いぶき』日本アカデミー賞優秀助演男優賞(2020年)、京都府文化賞功労賞(2023年)など多数。最新作の舞台「佐々木蔵之介ひとり芝居『ヨナ-Jonah』」では、2025年5月21日にルーマニア・シビウでおこなわれたワールドプレミアから、ヨーロッパ4カ国6都市ツアーをまわり、6月26日のシビウ国際演劇祭で上演。「ウォーク・オブ・フェイム」を受賞し、シビウの歩道に自身の名前を刻んだ「星」を残した。10月1日から東京芸術劇場を皮切りに国内ツアーをおこない、金沢、松本、水戸、山口、大阪にて順次上演予定。2026年は主演作品の公開が続き、BS時代劇「浮浪雲(はぐれぐも)」(NHK)、映画『幕末ヒポクラテスたち』(緒方明監督)など。京都観光大使。

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