――演じながら?

佐々木 はい、すごく共有できた感覚があって。ああ、こんなふうに演劇って観られるものなんだという気づきがありました。さあ、いよいよ日本のお客さんはどう観てくださるのかなというところが気になりますね。

「ヨナって自分自身であるように思えるんですよ」

――演出家のシルヴィウ・プルカレーテさんとご一緒される舞台は、「リチャード三世」(2017年)、「守銭奴」(2022年)に続いて3度目ですよね。

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佐々木 紙芝居ではないけれど、紙を使ったりとか、影絵っぽい演出だったり、僕もいままでやったことのない作品になっていくなあと。おそらくルーマニアの人たちにとっても、あの戯曲をこんなふうに解釈したのかという作品になっていると思います。

 僕がひとりでヨナを演れたのは、ヨナが「自分とはなにか」と考えていく過程があるのですが、闇のなかでなんとか光を見出してここから脱出しようというひとりの人間の姿を、ルーマニアで2カ月生活した自分と重ね合わせられたところがあって。僕は現地でずっと一人だったわけじゃないんですけど、ヨナって自分自身であるように思えるんですよ。

 

 一場から四場まであるなかで、プルカレーテさんは一場が一番大変だと言っていて、冒頭でヨナはしゃがんで座っているんです。微動だにしない。像、石像、動かない(静寂)。

 生きているのか死んでいるのか、いまその境界にいるような人。だから彼は、いろんなことを思い出すんですよね。走馬灯やないですけど。どんどんどんどん思い出して話していくんです。モノローグで。そのなかで、魚と向きあいながら、つまり自分と向きあいながら、やっぱり家族のこと、子どものこと、お母さんのことを思ったり、子どものころに好きだった虫の話だとか、学校の話だとか、おじいちゃんの話だとか、兵士の話もでてくるし、いろんなものがでてくるんですよね。

 それで、自分が大切にしていたものを思い出していくんです、どんどんどんどん話のなかで。詩のように。

 

――はい。

佐々木 とくに四場について、プルカレーテさんは、これは僕のおじいちゃんなんだよと言っていて。おじいちゃんは田舎でひとりで暮らしていて、誰とも会わないのに髭を剃って料理をして、死ぬ3日前にたばこをやめたって。体のためにって。いろんなことを忘れていくけれど、大事なものは覚えている。自分の名前も、ヨナは忘れてしまうんですけど、大切なことは思い出していくっていう。

 だから観ている人も、あっ、これは自分にもわかるし、この気持ちもわかるっていう、けっこう詩的な部分が多いので、ものすごく想像するんですよ。お客さんそれぞれが自分の母であるとか、子どもであるとか、いろんなものを想像する作品になっていると思ってますね。