――日本ではメディアを通じて伝わる教皇の言葉はごく一部に限られ、なかなかアクセスしづらいのが現状です。本書では、山本さんがそこに補助線を引きながら、フランシスコ、レオ14世、ベネディクト16世の3人に焦点を当て、伝統と革新が交錯するダイナミズムが描き出されていますね。

山本 教皇の言葉は、古典的な伝統と現代世界の動きが絶妙に組み合わされているのが特徴です。触れることで、現代を理解する新しい視点が得られると同時に、時空を超えて過去の古典とあらためて出会い直すことができる。非常に豊かな時間がそこにあります。

三人の教皇が織りなす伝統と革新の物語

――本書ではフランシスコ、レオ14世、そしてベネディクト16世を順に取り上げています。新しい教皇から遡っていくならば、レオ14世、フランシスコ、ベネディクト16世になりますが、そうではない。この構成にはどのような意図があるのでしょうか。

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山本 まず、亡くなったばかりのフランシスコがどのような人物だったのかを語る必要がありました。彼は「橋を架ける」という言葉を軸に、人と神、人と人、人と自然の間に橋を架け続けた教皇でした。人間同士のあいだに、そして人間と自然界のあいだに大きな分断と不調和が見出される現代世界において、分断を克服し、調和を再び見出すということを訴え続けた人物でした。彼にとって「神」とは、そうした分断の克服の根源にある原動力のようなものでもあったのです。

  新たに選ばれたレオ14世は最初の演説で「橋を架けましょう」と繰り返し、フランシスコの精神を引き継ぐことを明らかにしました。同時にキリスト教の根幹を形作った4~5世紀のアウグスティヌスの言葉を頻繁に引用し 、現代世界において革新的なメッセージを発していこうとする姿勢が見られます。伝統を守ることと革新をすることが相反することではなくて、むしろ伝統に依拠することによってこそ新しい言葉が紡ぎ出されていくという在り方を体現している。

レオ14世 Edgar Beltrán, The Pillar, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons

 そしてベネディクト16世。彼は今回のフランシスコの逝去に際しても、「保守的」というひとことで括られて語られたりしましたが、それではもったいない。20世紀を代表する神学者で、濃縮された言葉の中に2000年の伝統を凝縮して現代に響かせた人です。彼の言葉を本書で紹介できたのは大きな意義があると思っています。