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「同行者」としてともに言葉を紡ぐ
――山本さんご自身は、どのようにして教皇の言葉に深く触れるようになったのですか?
山本 私も以前は、教皇の文書は「教会の公式文書の親玉」のようなものだと思い込み、あまり心に響かないだろうと考えていました。
きっかけは、作家の堀田善衞がヨハネ・パウロ2世を「現代思想家」として論じたエッセイを読んだことです(「思想家としてのローマ法王ヨハネ・パウロ二世」、『空の空なればこそ』所収、筑摩書房、1998年)。当時日本でもけっこう売れたヨハネ・パウロ2世の『希望の扉を開く』という一般向けのインタビュー形式の書籍なんかも取り上げつつ、堀田さん自身のヨーロッパ経験なども織り交ぜながら書かれていたんですね。
当時からヨハネ・パウロ2世は非常に保守的なことで知られていて敬遠する向きさえあったんですが、実際に彼の出した様々な文書を手に取ってみると、公式文書としての堅実さと教皇の個人的な熱量が両立していて、非常に面白いものでした。単に信仰者に向けられた言葉ではなく、何かを求める多くの人に開かれている――そう感じたのです。
