バフェットの名声を揺るがぬものにしたのが1999年のカンファレンスでの「伝説のスピーチ」である。この時、アメリカは空前のハイテク株ブームに沸き、ダウ平均は3年半で2倍になっていた。ネットベンチャーが次々と新規株式公開に踏み切って熱狂が現出。カンファレンスでもブームでのし上がった若き億万長者たちが尊大に振舞っていた。
バフェットは「将来が予想できない」という理由でハイテク株(IBMとアップルを除く)に投資しない。自分たちを「ニュー・エコノミー」と呼ぶ自信満々のハイテク業界はバフェットを軽んじ始めていた。そんな彼らの前でバフェットはこう言った。「市場は短期的には投票計だが、長期的には重量計です。残念なことに投票の質については、読み書き能力のテストがありません」(『スノーボール ウォーレン・バフェット伝』)。
株式市場ではアナリストが年間リターンの平均期待値を13〜22%としていたが、バフェットは「もっとも妥当なところは6%あたり」と浮かれた空気に冷水をぶっかけた。
99年に2000だったNASDAQ総合指数は2000年に5000を突破。市場関係者は「バフェットは終わった」と囁いたが、翌年、彼の指摘通りだったと思い知る。2001年に同指数は1000まで暴落した。
2008年のリーマン・ショックの原因となった「債務担保証券」などのデリバティブ(金融派生商品)についても、そのカラクリを早くから見破っていた。2002年の株主への手紙では「デリバティブには中毒性があり、時限爆弾のようなものだ」とし、2003年の手紙では「金融の大量破壊兵器」と呼んだ。
9兆円の個人資産を持ちながらも生活は至って質素。投資先でもあるコカ・コーラの「チェリーコーク」を愛飲し、60年前に約3万ドルで建てたオマハの家に今も住む。
ハイテク株には投資しないがゲイツとはポーカー仲間で、2006年には310億ドルをビル&メリンダ・ゲイツ財団に寄付すると発表。
バフェットの投資の極意は「20穴(パンチ)のカード」。人生を20回しか財務的決定(パンチ)ができないカードになぞらえる。すると、小さなものに手を出すのを控えるようになり「決定の質が上がり、大きな決定をするようになる」という。
ちなみに今、この賢人は、ビットコインのことを「殺鼠剤の二乗」と呼んでいる。