オウム真理教による「地下鉄サリン事件」から30年が経過した。なぜ、このような未曾有の凶悪事件が起きたのか。なぜ止められなかったのか――。月刊文藝春秋のバックナンバーから、教団の内実に迫る肉声を紹介する。
 

地下鉄サリン事件が起きた10日後、國松孝次警察庁長官(当時)が何者かに狙撃された。オウム真理教への追及を強める渦中の凶行だった。無差別テロへの捜査から自身の狙撃事件まで、秘話を明かした

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「もっとガードを固めておけばよかった」

当時の警察庁長官・國松孝次氏は地下鉄サリン事件の10日後に狙撃された ©文藝春秋

 地下鉄サリン事件から10日後の3月30日、私自身が銃撃を受けるという不甲斐ない事件が起きてしまいました。

 その日の朝は、普段のように支度をして、定刻の午前8時30分に家を出ました。ただ、ひとつだけいつもと違っていたのは、自宅マンションの玄関を通らずに、その左側にある通用門から外に出たことです。なぜそうしたのかは、たまたまそうしてしまったとしか言いようがありません。その結果、狙撃犯により近い距離で建物の外に歩き出すことになってしまいました。

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 天候は小雨で、私が、田盛正幸秘書官の差し出してくれた傘を手にとって車に向って数歩歩いたところを、背後からズドンとやられてしまった。1発目は上腹部を貫通。前のめりに倒れこんだところを2発、3発と下腹部に追撃を受けました。そして4発目は外れています。

 私は、警察庁長官が銃撃されるという事態が起きた場合の影響、社会的衝撃の大きさを読み誤っていました。事件後に、ある報道関係者から、「日本の治安がグラリと揺らいだような印象を受けた」という話を聞きましたが、それくらい国民の間にいい知れぬ不安感が拡がってしまいました。

 そのことに私は、撃たれるまで思いが及びませんでした。気付いたのは、手術後に意識が回復し、当時の村山富市総理も駆け付けて病院中が大騒ぎだったと聞き、その他事態の重大な展開ぶりを知ってからでした。まさに臍(ほぞ)をかむ思いで、こんなことになるならもっとガードを固めておけばよかったと後悔したものです。

 警視庁が何の警備措置もとっていなかったということではありません。私が撃たれたとき、全くの丸腰だったという報道もありましたが、所轄の南千住署の警備員がちゃんと付いてくれていたのですから。