なぜ片町駅は誕生したのか
はじまりは1895年、片町駅の開業からだ。
片町駅を開業させたのは、浪速鉄道という私鉄だった。当時結んでいたのは、四條畷~片町間。沿線は江戸時代からの農業生産地で、農産物は寝屋川水運によって大阪市内に運ばれていた。
また、野崎観音を詣る参詣者も寝屋川を船で遡っていたという。浪速鉄道はそれを代替する目的の鉄道だったというわけだ。
浪速鉄道のターミナルが片町駅になったのは、水運との連絡を重視したからだろう。南に寝屋川が流れ、いまは消えたが当時は北側に鯰江川という川も流れていた。
ふたつの川に連絡し、大阪市内各地へとさらに農産物を運んでゆく。実に合理的な考えのもと、ターミナル・片町は誕生したのだ。
ところが、浪速鉄道はたったの2年、1897年に関西鉄道に合併されてしまう。関西鉄道は、名古屋と大阪を結ぶ現在の関西本線を建設した私鉄だ。
浪速鉄道合併時点ではまだ笠置山地に至ったばかりだったが、将来的に大阪市内に進出することを目論んでいた。そこで浪速鉄道に目をつけて、合併するやいなや延伸を繰り返して名古屋~木津~片町間を完成させたのだ。
片町駅は、晴れて名古屋と大阪を結ぶ大路線のターミナルになったのである。
わずか5年で用済みに
しかし、そうなると問題も出てくる。沿線の農村から農産物を運ぶ程度の想定だった片町駅はふたつの川に挟まれて拡張の余地もなく、名古屋と結ぶターミナルにしては狭きに過ぎた。
そこで関西鉄道は、片町駅の北側に網島駅という新たなターミナルを設けた。1898年のことだ。
さらに1900年、関西鉄道は湊町(JR難波)から奈良までを開通させていた大阪鉄道と合併。ミナミの繁華街にほど近く、すでに一定の存在感を得ていた湊町駅がいよいよ新ターミナルに君臨する。
かくして新たなターミナルの網島駅も、そして片町駅もすっかり用済みになってしまったのだ。片町駅の開業から、わずか5年のできごとであった。
そして入れ替わるようにして台頭したのが、京橋駅だ。




