――なるほど、AKB48グループのそもそものコンセプトが「クラスで10番目に可愛い子」や「会いに行けるアイドル」的なところですものね。

近藤 そうやって秋元さんから言われた途端、みんな「あ、スーパーでお肉の量り売りしてました」と言い始めたりして。確かに、もっと本当の自分を出した方が面白いんだなと。「あなたたちは彗星の如く現れた人たちなんだから、それを忘れないで」と言われたことをすごく覚えています。

 

「二度と戻りたくない」「地獄の日々」デビューまでの過酷な道のり

――加入が決まった時、周囲の反応はどうでしたか?

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近藤 家族は「そんなに長く続かないだろうから好きにすれば」という感じで。2009年のグループ結成から2012年の解散まで、3年間やっていたんですが「いつ就職するの」くらいのことをずっと言われてました(笑)。

――デビュー前はかなり過酷なレッスンを受けたのだとか。

近藤 いやあ、二度と戻りたくないですね。始発でスタジオに来て、終電で帰るまでずっと踊り続けるんですよ。朝ごはんだけはコンビニとかで各々買って来て、ひたすら振付を叩き込まれ、「そんなんで大丈夫だと思うのか」「舐めんじゃないよ」と怒られて。

 お昼になったら届いたお弁当を急いでかき込んで「はい始めるよ」みたいな。夕方になったらまたお弁当が届いて、食べて、また踊り続ける。頻繁に着替えないと、汗が絞れちゃうくらい出るので替えの洋服も必要で……。

過酷なレッスンを経て、SDN48としてデビューした(写真=本人提供)

――休日はありましたか?

近藤 ないですね。先に決まっていた別の仕事があったときに、レッスンを休めないかあらかじめ相談したことはありましたが、「別に休んでもいいけど。あなただけ遅れるけどそれは大丈夫?」みたいな感じで休む選択肢がないというか。「あ、予定消します」みたいな(笑)。

 毎日泣かない日なんかなくて、メンバー同士で喧嘩する暇もないし、脱落する子が続出するような地獄の日々でした。

武道館のお披露目ライブ本番で「地獄だ」と思ったワケ

――そんな日々の先にあった武道館のお披露目ライブ本番では、どんな気持ちだったのですか。

近藤 ストレスと疲労で免疫が落ちたおかげで身体を壊してしまって、膀胱炎だったんですよ。平衡感覚もないし「地獄だ」と思って立っていましたけど、それ以外あまり記憶がなくって。デビューした実感が湧くのは、もう少し経ってからだったと思います。

 

――SDN48は大人向けのセクシーなアイドルがコンセプトで、劇場公演も18禁だったじゃないですか。

近藤 そうですね。夜の時間帯メインだったので条例に引っかからないように18歳以上しか入れないようにして、「それなら大人向けの公演をしたいね」ということでセクシーな振付や歌、衣装があったと記憶しています。

撮影=松本輝一/文藝春秋

〈つづく〉

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