「御三家の女子学院が第一志望だったのですが…」中高一貫の進学校に入学した理由

――ご両親は教育熱心だったのでしょうか。

岡本 すごく教育熱心だった、という記憶はありません。つきっきりで勉強を見てもらうこともなかったので。

 両親が私を日能研に通わせていたのは、中学受験をして良い学校に行った方が、進学や就職のときの選択肢が広がる、という理由からだと思います。

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――小学校卒業後は、中高一貫の豊島岡女子学園に進学したそうですね。

岡本 御三家の女子学院が第一志望だったのですが、そこは落ちてしまったので、第二志望だった豊島岡女子学園に入学しました。

 

――中高時代も成績上位を目指して頑張っていたのですか?

岡本 実は、大学受験間際まではそこまで頑張ってなかったんです。成績も、学年の中では真ん中よりちょっと上くらいでした。

「高校を卒業したらとにかく家を出たかった」大学受験で京都大学を第一志望にしたワケ

――中高でも一番を目指して頑張っていた、というわけではないんですね。

岡本 今振り返ると、私が一番を目指して頑張るときは、自分がトップを目指せそうだと思えて、かつ競争しなきゃいけない状況、という条件が揃った時だけなんです。

 でも豊島岡は進学校で、みんな勉強ができるから、並大抵の努力じゃ一番にはなれない。「頑張ればもっと上にいける」という感覚が自分の中になかったから、あまり頑張れなかったのかもしれません。

 ただ、大学受験のときはかなり頑張りましたね。「いい大学に入って、すごいって言われたい」みたいな競争心が芽生えたので。

――京都大学が第一志望だったのですか。

岡本 そうです。東京の大学だと実家から通わなきゃいけない可能性があるし、私立だと学費が高いから、確実に一人暮らしができて、かつ自分が頑張れば届きそうなる国立大学の中で、一番レベルの高いところが良いなと。

――どうして一人暮らしをしたかったのでしょうか?

岡本 両親が厳しかったんです。周りの友達よりも門限が早かったし、携帯を持たせてもらうのも遅くて。メイクをしたり、眉毛を剃るのもだめでした。

 それでもおしゃれはしたかったから、当時はすっぴんで家を出て、地元の駅でメイクしてから友達と遊びに行って、また地元の駅でメイクを落としてから家に帰ったりしてたんです。

 眉毛もこっそり剃って、前髪で隠していましたね。親の前で髪をかきあげたり、寝転んだりして眉毛が見えないように気をつけていました(笑)。

 そういう生活にフラストレーションが溜まっていたから、高校を卒業したらとにかく家を出たかったんです。