「考え甘いんじゃないか」
『サムライ』。
1967年のフランス・ノワール。中折れ帽にトレンチコート、寒々として乾ききったパリの街角、メトロ、ただ一羽の小鳥と暮らすアパルトメント。孤独な殺し屋アラン・ドロンは、終始寡黙でニコリともせず、静謐な時の流れに漂うなか、ピアノ弾きの謎めいた女にほんのかすかなヒトとヒトとの波動を感じるが、その瞬間から滅びの時が近づいてくる。
「そんなもの、書けるわけないじゃないですか。この仕事、できません」
ムカついて低い声で啖呵をきった私を黒澤が睨みつけ、珍しくドスをきかせた声で告げる。
「やる、やらない、じゃないんだよ。やるんだ。封切まであと50日もない」
伊藤が引き継ぐ。
「丸山君、考え甘いんじゃないか。もうプロだろ」
黒澤が一転してニヤニヤと、
「しかし優作、よく考えてるなあ。現状を冷静に分析して、先の先まで読んで勝負しようとしている」
伊藤もため息をついて、
「優作が何か言ってくる度にカッとしますけどね。あいつ、いち役者の狭い立ち位置にとどまらず、次にやることの全体をとらえて、もはやプロデューサー全権大使、ってとこかな。頭いいんですね」
優作と違って、頭わるいですから、私は。ひねくれる。
考え甘いんじゃないか。
私に向けられた伊藤のこのセリフは、鳴海昌平が敵を嘲る時に言わせることにした。
(1)地下室・部屋A
殆ど、闇に近い空間。地下水が染みわたる壁。壁。コンクリートの床。突っ伏した男の軀。ランニングシャツ、スラックスだけのただの物体。物体の一部が、不意に痙攣する。あちこちが蠢き、繰り返し、やがてひとつの力となってぐるりと軀を回転させる。
物体が、生き物に戻った。
鳴海昌平――。
一隅に、人が見える。男だ。机があり、椅子に座っている。背広。ツイード。男が、立つ。靴音。近づく。屈んで、何かを差し出す。コップだ、水。鳴海の喉。蠢く。本能。コップに手を差し出す。寸前、男は水を床に零す。クックッと、男は嗤った。不潔で、高慢な嗤い。
鳴海「……」
死人のような顔に初めて感情がこもる。怒り。鉄のように重い軀に力をこめて、男に飛びかかる。男は、鳴海の顎を蹴り上げる。冷酷。