尾道の歴史の光と陰
平安時代末期、後白河法皇が領した荘園から年貢米を運び出す港として整備されたのがはじまりで、室町時代には日明貿易の基地として山名氏の繁栄を支えた。
江戸時代に入ってからも西廻り航路の船が寄港する商業港湾都市として栄え、さらに西国海道と石見銀山街道との分岐地点という役割も得て、ますますの成長を遂げてゆく。
しかし、明治以降それに陰りが見える。尾道港は大型汽船が寄港できる規模の港ではなく、航路としての主流は対岸の今治側が優勢になった。さらに戦後、新幹線の開業時には件の通り尾道には駅すら設けられることがなかったのだ。
こうした歴史を辿った尾道が、是が非でも新幹線駅をと求めたのも当然といっていい。
大林監督の「尾道三部作」が世に出たのは1980年代の前半。観光都市として飛躍したのもその頃で、新幹線駅を設けることでより一層の観光客の獲得を目論んだのかもしれない。
いずれにしても、尾道にとって新幹線駅はなくてはならないものだったのである。
ここ数年は移住者も増加中
そんな新尾道駅だが、やはり現実的には町の玄関口としては機能していないといっていい。東から新幹線で尾道を目指すなら新尾道駅は遣わずに福山駅で「のぞみ」を降りて、在来の山陽本線に乗り継ぐ方が便利だ。
「のぞみ」から「こだま」に乗り継ぎ、さらに新尾道駅からは路線バス。やはり、ちょっと面倒である。
しかしそれでも、長きにわたって商業港湾都市として存在感を示し続け、四国にはしまなみ海道、山陰には中国横断自動車道が通り、東西を貫く山陽自動車道と、交通の要衝っぷりはいまでも健在だ。なんでもここ数年、尾道の観光客は増加を続け、移住者も増えているという。
そんな町の、新幹線のターミナル。坂の途中に家々が並び、ところどころにお寺が点在。そんな新尾道駅の風景は、思った以上に“尾道的”だ。
少し乗り継ぎが面倒でも、あえて尾道へは新尾道駅を使って。意外と新しい尾道の発見があるかもしれない。
撮影=鼠入昌史
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