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なぜ新幹線駅が必要とされたのか
実はもともと、福山駅と広島駅の間の中間駅として、新尾道駅を設ける計画があったという。
このあたりは山が瀬戸内海のギリギリまで迫っていて、駅に必要な土地を確保することがそもそも難しい。
その点、(後の)新尾道駅の場所は山と山に挟まれたちょっとした平地部で、周辺の開発も進んでいなかった。だから白羽の矢が立ったのだ。
ところが、尾道に新幹線駅が設置されることに危機感を覚えたお隣の三原が大逆襲。狭い市街地ながら、駅設置のための用地取得を地権者に約束させて巻き返しを図った。
帝人や三菱といった大企業の工場が多い町だったことも関係したのだろうか。フタを開けると山陽新幹線の駅は尾道ではなく三原に置かれていた。
尾道にすれば、目前にして隣町に新幹線駅を掻っ攫われた形だ。そのときの思いもあったのかどうか、尾道は地元負担の請願駅として1988年の新尾道駅開業にこぎ着けたのである。
ずいぶんなお金のかかる事業であり、隣の福山駅は20km、三原駅に至ってはわずか10kmしか離れていない。果たして新尾道駅は必要か、といった議論もあったという。
そもそも尾道という町は、港を背景に“交通の要衝”という役割を得て発展した歴史を持っている。


