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実は1回僕ら解散してるんですよ

相田 前歯も折れてるんだけど、もう全然笑えなくて(笑)。風呂にも入ってないから髪もぐちゃぐちゃで、結局そんな状態の小宮の車椅子を押して初めての『ゴッドタン』に出ることになるんです。

小宮 そういうコントが始まるの? って雰囲気でした。あるいはピン芸人の三四郎ってやつが怪我してて、マネージャーが車椅子押してるのかなって(笑)。

相田 結果的にインパクトが残せたし、あの回をきっかけに僕たちの仕事が少しずつ増えていったのでターニングポイントなんですけど、パチンコ打ってた時は本当に落ち込んでました。

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――チャンスを逃しかけた危機を乗り越えてここまでやってきたわけですが、これまで解散の危機ってなかったんですか? ずっと仲良しのままの13年だったんでしょうか。

小宮 いや、結成2、3年目かな、実は1回僕ら解散してるんですよ。養成所ライブで同期60組中の1位とかを取り続けてきたんですけど、外に出て他の事務所の人たちとも、先輩後輩とも戦っていかなくちゃならないって考えたときに「底が見えてきたな」って感じたんです。それで、もっとエッジの効いたことをやらなきゃ、そのためにはキャラの強いやつをもう一人入れてトリオにしたほうがいいって思ったんです。

相田 それ聞いて、めちゃくちゃキレたんですよ、僕。渋谷かどっかのファーストフードの店でしたけど。「じゃあ、最初から誘うな」と。「他の人にはないタイプのコンビだからやってきたのに」「もう俺はやめる」ってバーッとまくしたてたら、小宮が泣いちゃった。

小宮 そう。で、1週間後に相田に電話して「ツッコミがいないから戻ってきて」ってお願いして、それでしばらく「次男坊」って名前のトリオでやってたんですけど、新メンバーが抜けちゃって、それで元の二人の「三四郎」に戻ったんです。

 

もう一回「三四郎」する意味

相田 このとき、小宮がボケからツッコミに、僕がツッコミからボケに変わって、今の立ち位置になったんです。

小宮 前と一緒じゃ、もう一回「三四郎」する意味ないと思ったんですよね。それに、僕は喋りながらずっと自分はボケの人間じゃないって感じてたんですよ。どちらかというと、何か言われて返す受け手のほうが良さそうだと。相田は昔からモノマネしたり、自分から表現していくところがあったから、役割はむしろ逆だろうなって考えついたんです。

相田 抵抗はありましたよ、僕がボケてウケるんだろうかって。それで、最初は不安だからお互いボケもツッコミもやるような探り合いのネタをやってましたね。

小宮 その頃、サンドウィッチマンさんやアンガールズさん、おぎやはぎさんもそうですけどボケに対するツッコミ方に特徴が色々出てきていて、いいなあって思っていたんです。強いツッコミをしない感じ。今だとバイきんぐの小峠さんや、ハライチの澤部くんがそうですよね。それは僕にも向いているんじゃないかって、割と希望を持ってました。