両親の離婚でお屋敷から長屋へ
――石垣を積み上げたような屋敷には、何歳ぐらいまで。
彦摩呂 5歳ぐらいで両親が離婚して、母親と1個上のお兄ちゃんと大東市に移り住みました。幼稚園まで瓢箪山、小学校1年生から大東市。お屋敷から長屋へ。僕、そのときのことはメッチャ覚えてるんですよ。
――お屋敷での生活は記憶にありますか。
彦摩呂 家にお客さんが来ると、二間広げて長テーブル出して宴会したり。ペルシャ絨毯が敷いてあって、僕はその上でなにも気にせずミニカーでゴシゴシ遊んでいました。
――お父さんは、どんな仕事を。
彦摩呂 おじいちゃんは市会議員だったけど、お父さんはエンジニアの会社をやっていました。親戚はみんなお医者さんですね。
――両親はお見合い結婚?
彦摩呂 母と父が恋愛して、ドライブしている時に交通事故に遭うんです。母親が顔面に16針を縫う大ケガを負って。父が「ケガさせた責任を取って嫁にもらう」と母の父に言ったら「うちの娘を置いて帰ってくれ」「同情でもらってもらわんで結構や」と。
そやけども、お互い惚れ合っているから、結婚して。いまはコンプライアンスでこんな言い方できへんけれども、母親の両親は「物持ち(資産家)の家の人間と結婚しても、あんたが苦労するだけだから」と反対したみたいですよ。
お坊ちゃんからド庶民の下町の子どもに
――お屋敷から長屋での変化は、幼いなりにどう受け止めました。
彦摩呂 長屋にお母さんとお兄ちゃんと一緒に住むっていうので、下見に行ったのを覚えてるんですよ。
「なに、ここ? わぁ~」って。「お父さんが帰ってけえへんから、帰ってきたらこのマットでどついたんねん!」とかいうて、子供心に離婚間もない暗い空気を明るくしようと思っていましたね。
当時のアルバムを見ると、ガラッと雰囲気が変わるし。それまでは石垣の上で、おばあちゃま、おじいちゃまと一緒に上品な格好して立ってる写真ばっかり。出かける時もジャケットに半ズボン、革靴。
小学生以降のアルバムをペロッとめくると、ヨレヨレのTシャツに半ズボン、ズック靴。アイスキャンディーを持って、近所の子たちと「イェーイ」ってやってる。お坊ちゃんから、一気にド庶民の下町の子どもに変わってました。
