母のすすめでタレントスクールへ

――中学も陽キャ路線で。

彦摩呂 陽キャ路線を続行。あと、テレビが大好きで。吉本新喜劇も松竹新喜劇も見てましたし、歌番組も片っ端から見てて、「うわ~、テレビの中に入りたい」って思っていました。

 伊東四朗さんと小松政夫さん、キャンディーズの『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』(テレビ朝日・1976~1978年)とかにハマっていましたね。

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 アイドルも夢中になりました。山本リンダさん、ピンク・レディー、キャンディーズ。それから(山口)百恵ちゃんが大好きで。

――中学生で芸能界に進みたいなと。

 

彦摩呂 漠然と。いろんなジャンルがあることなんてぜんぜんわからないし、「どうやったらテレビに出られるんやろう?」っていう、そんな状態でした。

 でも、中1で初めて大阪の養成所に行ったんです。プロタレントスクールっていうのがあって、そこのオーディションを受けたら受かって。

 それで、毎週日曜日に大東市から難波まで行っては、モダンバレエと発声練習、基礎演技のレッスンを受けてたんです。そうやっている最中にオーディションに受かって、中3で学生服のコマーシャルに出たんですよね。

20歳の時の彦摩呂さん(Instagramより)

――養成所には自分で応募を。

彦摩呂 いや、オカンが「あんた、タレントになりたい、なりたい言うてるけど、こんなん応募あるやん。応募したらどうやねん」って新聞の切り抜きを渡してきて。

 未成年やからって、毎週オカンがレッスンに付いてきてくれてました。

高校時代は男前のモテ男

――コマーシャルにはけっこう出ましたか。

彦摩呂 売れっ子ではなかったですけど、とりあえず当時はメッチャかわいかったですよ。

 高校に入ってからはアルバイトできるので、ファミレスでアルバイトしていたんですけど、ホール係を頼まれたんです。大抵、男子は厨房の料理補佐か洗い場に回されるものなんです。だけど、「君はお料理運んでください」って。なぜなら、男前やから(笑)。

――高校ではモテすぎて、文化祭には他校の女生徒が300人くらい押し寄せたり、卒業式にも他校の女生徒たちが見送りにきたという伝説があると。

彦摩呂 それ、僕のYouTubeに出てくれた同級生が「お前のことを見るために女の子いっぱい正門に来とったやないか」とか、オーバーに言ってるだけで。僕はそのあたりは覚えていないけど、バレンタイン・デーにチョコもらったり、ラブレターもらったりはちょこちょこありましたね。

写真=三宅史郎/文藝春秋

次の記事に続く 「ファミレスでスカウトされた」「TBSの控室でボロクソのケンカも」大阪のイケメンモデル→幕末塾のアイドルに…彦摩呂(59)が語る、壮絶だったデビュー当時

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